亀と鴎の挑戦

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感動をありがとう 片野坂監督

2021-12-20 19:34:46 | トリニータ2021

6年間トリニータを率いてくれた片野坂知宏監督。最後はJ2に降格させて退任となったが、振り返ってみれば圧倒的に感謝しかない。その感謝に溢れた6年間を振り返ります。

 

2016年

J3降格という現実にまだ切り替えられていないサポーターが多い中、恩返しということで監督を引き受けてくれた。自分の思い描いていた監督像があったかもしれないが、まずはトリニータをJ2に復帰させるために今いる選手にフィットした戦術やフォーメーションを選択してくれた。

結果だけでなく、岩田や吉平らを育てるというミッションにも果敢に挑んでくれた。だが全てがうまくいくはずもなく、残り10戦残した状態で首位との勝ち点差は9(だったはず)。そこで監督のとった手段は、結果を最優先にした采配。理想としていた繋ぐサッカーを一旦捨て、勝率の高い内容にシフトした。繋ぐ意識の強い上福元から守備意識の高い修行、ビルドアップに長けた千明からハードワークできる姫野、若さ溢れる吉平からベテランらしいプレーができる三平と、当初から目指していたプランから大きく変更することとなった。

その結果、最終的には栃木と順位が入れ替わることになり、見事J2昇格を果たすことができた。カメの坂を見た時は、うちらが思っていた以上に重たいものを背負っていたんだなと涙を隠せなかった。

 

2017年

J2に復帰し、ここからJ3に逆戻りしては意味がないということで着実に強くなるためのチャレンジを行ってきた。主な政策は3バックシステムの切り替えと、最終ラインからのビルドアップ。慣れないパスサッカーにミスはつきもので、ピンチになるたびにヤジが飛びまくった。

ミスが原因で落とした試合もいくつかあったが、最終的にはこれがトリニータらしいサッカーなんだと言わしめるくらいにスタイルが確立した。目標だった勝ち点の目標を早々に達成し、上方修正できるくらい充実できたシーズンだった。

 

 

2018年

トリニータのスタイルが確立できれば補強ポイントもおのずと絞りやすくなり、繋ぐ意識と推進力のある選手が多く来てくれた。勝てない時期があっても選手を信じて戦い抜き、最終的にはJ1昇格を果たすことができた。

さらに忘れてはならないのが、監督がきっかけで浅田飴さんがスポンサーになってくれたこと。発端はサポーターからのツイートとなるが、浅田飴のおかげで監督の声も最後まで嗄れずに済むことができた。さすがに大一番となった最終節では浅田飴さんの力をもってしても声ガラガラだったが。

 

 

2019年

J1初挑戦となったシーズン。初戦で鹿島に勝つことができ、一躍注目の的となった。序盤で勝利を積み重ね、さすがにいろんな所から目を付けられ無視できない存在となった。

その後は研究されまくって思うように勝ちを伸ばせなくなったが、トリニータをリスペクトしてくれている、片野坂監督をリスペクトしてくれているということでむしろ誇らしく感じる。この頃から代表監督に推す人も多くなった印象。

この年の優秀監督賞に選出され、文句なしの充実したシーズンとなった。

 

 

2020年

監督の掲げるサッカーに魅力を感じ、数多くの実力者が加入してくれた。昨年の足りない部分を補う補強を行い、更なるレベルアップをする準備は整った。

その矢先に起こった新型コロナの影響で、イレギュラーなシーズンを送ることとなった。短期間で日程を消化せざるを得なくなり、時にはベストメンバーを送り出せないことを余儀なくされることもあった。それでも目の前の試合に対して毎回準備してくれて、言い訳をすることなく毎試合分析してくれた。これにより選手たちも腐ることなくトレーニングに取り組めていると思うので、本当に良い監督に恵まれたと感じる。

 

 

2021年

主力の流出が相次ぎ、1からチームを作り直すことを余儀なくされた。開幕から手探りな状況が続き、メンバーが固定できずに勝ち点が伸ばせなかった。

監督に対する責任を問う声も次第に出てきた。俺自身、下位に沈んだのは監督による責任もあると思っている側の人間だが、それでも最後までやってもらいたいというのが率直な感想だった。たとえ降格という結果になってしまっても、最も残留に近いのが片野坂監督に任せるという選択肢だと思っているし、ここまでチームのために選手と共に戦ってくれる監督をこんな形で別れさせたくないという想いはあった。

結局、俺の願望がそのまま結末となった形となったが、天皇杯を決勝まで進めるのは流石に予想外だった。片野坂監督でなければ残留するという世界線はあったかもしれないが、天皇杯を勝ち上がること、そして敗戦後も次のステージへとベクトルを向かわせてくれるのは片野坂監督しかできないことである。

降格してしまったし、天皇杯は準決勝で終わってしまったが、こうして数多くの財産をトリニータに残してくれたことに対する感謝しかない。

 

 

以上、これまでの6年間をざっくり振り返ってみました。片野坂監督でなければ、大袈裟に言えばずっとJ3だってあり得たことだし、運よくJ2に上げたとしても確かな強さを得られることはなかっただろう。

3年間だけであったが、J1という舞台で夢を見られたこと、そして天皇杯をベスト8が1回、準優勝が1回と好成績を残してくれたことに感謝申し上げます。

 

 

ちなみに、これまでの片野坂監督を見ていて、選手交代のプランについてはあくまで勝つことだけしか考えてなかったと思われる。たとえ丸谷のラストゲームであれ、C大阪に勝つことだけを考えて投入させなかった。非情かもしれないが、勝利を信じて声援を送るサポーターのため、そして同じく戦う対戦相手のリスペクトの気持ちもあってと考えると監督の心情も理解できる。

そんな監督が唯一プラン通りの交代策ができなかったのが、高松のラストゲームとなったYS横浜戦だと思う。監督としてはもっと投入するタイミングを見極めたかったに違いないが、サポーターからの高松チャントに押される形でラスト5分での投入となった。監督にもし質問できる機会があるなら、あの時の交代策は監督が狙っていたものと違っていましたか?と聞いてみたい。

 

 

これからは報道通り、片野坂監督は次のステージへと進むことになるはずだが、流れてきた情報によると早速片野坂監督との鉢合わせはルヴァンカップ、そして天皇杯で行われることが濃厚だそう。その時はきっと「大分さんは、、、」と言うだろうし、綿密に準備し全力で倒しに来るだろう。我々にできることは、そのカタノサッカーをきっちりと倒すこと。本人は悔しがるだろうが、それが片野坂さんが理想としているトリニータの形じゃないかな。

 

たくさんの思い出をありがとうございました!

 

じゃこの辺で


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