le temps et l'espace

「時間と空間」の意。私に訪れてくれた時間と空間のひとつひとつを大切に、心に正直に徒然と残していきたいなと思います。

ヤコブへの手紙

2011年03月18日 | 日記
映画を観たのは何年ぶりだろう。最後に観た映画を全く思い出せない。

毎朝その前を通る本屋に、この映画のポスターが貼ってあった。なかなか進んでいないが、今、佐藤優さんの新約聖書Ⅱを読んでいることと思いがけず時間があることから観にいくことにした。

あらすじはこちらを。

リンクの最初にマタイの福音書からの引用がある。
「すべて、疲れた人、重荷を背負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

盲目のヤコブ牧師は悩める人から毎日届く手紙を代読してもらい、返事を書くこと(代筆)を生きがいとしていた。しかし、手紙が届かなくなってしまってからはすっかり元気を失って、そこで気づく。「私は神の言葉を皆に届けることによって、皆を癒していると思い込んでいたが、神がその役割を私に与えてくれることそのものが私に与えられた癒しなのかもしれない」と。その気づきをどう捉えれば良いのだろう。ヤコブの心には「私は神の言葉を伝える道具でしかない」と言いながら、いつしか多くの人々の悩みをわたし=selfが聞いてあげているという奢りが生まれていたのだろうか。だから、手紙が来ないという試練を与え、休ませてくれるのはあくまで神であるとヤコブに気づかせたのだろうか。

物語の最後で、レイラはヤコブに自らの過去の罪を打ち明ける。まるで手紙が届いたかのように装い、その手紙を読むようにして。レイラは姉に暴力を奮う姉の夫に腹が立ち刺殺してしまったのだ。姉を助けるつもりが大事な夫を奪ってしまった罪は許されますか?と問うレイラ。ヤコブはすべてを聞いたあと「差出人はレイラ・スティーンか」と問う。「はい」とレイラ。そこでヤコブは(映画の中でときおり映しだされていた)手紙の束を持って来る。それは、レイラの姉からヤコブへの手紙だった。レイラを案じる姉の手紙。姉の手紙を受けてヤコブが恩赦を依頼したのか、姉自身が恩赦を依頼したのかは明らかにされなかったが、レイラは見えないところでこの二人に自身の身を祈られて生きていたのだ。

この映画のメッセージはなんだろう。やはり、神がすべての人を休ませてくれるということだろうか。
もうひとつ、どんな救済も愛がなければ何の益もないとヤコブが述べていた。新約聖書Ⅱの最初にも書いてある言葉だ。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。・・・不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてに耐える。」
愛を知ったレイラ。ヤコブは亡くなり、レイラがヤコブの家を出るところで話は終わる。愛を知ったレイラがその後どんな生活を送ろうとするのか、その伏線が少しでもあれば観る者の心にもう少し温かいものを残せたと思う。