コロナで2019年の8月以降、3年ぶりに金沢に帰省できました。
写真で見たまんまだった!金沢港は実家からすぐそこの場所。
金沢港浚渫土砂埋立護岸整備事業の工事の写真を見つけました。
コロナ禍の、2020年6月にできた金沢港クルーズターミナル。インスタなどで時々目にして、こんなんできたんや~(金沢弁)って思っていて、今度帰省できたら一番に行こうと心に決めてました。
写真で見たまんまだった!金沢港は実家からすぐそこの場所。
金沢港や金石、大野、内灘の海には思い出がいっぱいありすぎて…!
…!
金沢港は(わたしが住でた頃)ずっと金沢駅から続く50メートル道路の途中で封鎖されて、工事が行われていました。
金石は、小学校区は違えど昔は中学校区だったので、家から歩いたら20~30分かかるけど車だとすぐなので、仕事の帰りに足を伸ばして金石の海に沈む夕日を見てから帰宅することも多かったです。
金石海のことは、長い間ずっとここで記事にしたいなあと思っていました。
実は数年前に忽然と金石の海が消えてしまっていて(全然知らなかったのでショックが大きかった)、いつかこの気持ちが落ち着いたら…と心にしまったままでいました。
2006年の夏に帰省したときのことですが、車に乗ってるときに、友人といつものように『海見にいっか!』となって、金石海岸から大野に続く道に出ました。
そこに見えたのは迫り来る波。
前はもっともっと手前に白い砂浜があって、向こうの方に海があったんですけど、『最近海岸浸食がすごいんやって~』と友人。
それから数回、帰省するとまたこの地元の海に行って、海岸浸食がすすみながらも相変わらずのとっぷりとした夕暮れの海を眺めて潮風を浴びて懐かしい思いに浸っていました。
ところが7~8年くらい前になるかな…正確な時期は覚えてないのですが、2014年か2015年くらい?…いつものように帰省時に海に出たとき、確かに海がある場所なのに、忽然と海が姿を消していたんです。
道間違えたのかなと思いたかったけど、何度となく行った道だし、おまけに道沿いにある友人の実家も確かにあったので、疑いようもなくあの海岸沿いだった道でした。
なぜ?どうして?いつから?反対運動はなかったのか頭のなかでいろいろと整理がつかなくなりました。
調べると金沢港の海底が浅く、大きな船が入れないため海底の砂を掘りあげて、その砂の受け入れ先がすぐ隣の金石海岸だったそう…。
近年の海岸浸食は、危なかったし、これもいたしかたないのだけれど、突如心の拠り所を失ってしまった感がすごくて、しばらくちょっと気持ちを消化できなかったです。ああ、もうあそこには帰れないんだな~とやりきれない思いで。
金沢港浚渫土砂埋立護岸整備事業の工事の写真を見つけました。
金石の海にはあんなにたくさん行ったのにそんなに海だけを撮った写真がなくて、ネットで見て懐かしみました。
そもそも海岸浸食は、日本全土で問題になっていて、原因は自然災害よりはむしろ人為的な乱開発によるところが大きいそうです。確かにたくさんダムを作ったり海岸をいじったりしていたらバランスを失いこういう結果に進んでいくしかなかった部分もあるのかなと思います。
金沢港周辺地図。金沢港西側が金石です。埋め立て地の左端、犀川河口部分付近だけ、わずかに砂浜が残っていて、また今度の帰省時に見に行けたらいいなと思っています。
この辺にはカフェなんかもいろいろあるので。
両親と県庁から金沢港を見ました。
金石。
地元だな~。
わたしは中学校にあがるまで父の仕事の都合で大阪で育ったので、小さい頃から海の近くで育った訳じゃないんですけど、中1の頃実家に戻り友だちと自転車で海に行ったときに登った坂の上からこの青い海が広がった瞬間の感動は今でも忘れられません。
当時金石の海は、遊泳禁止になっていたほど汚染されていましたが、海は黒いものと思っていたわたしにとっては、絵に描いたみたいに青い海が衝撃でした。
以降、海の美化活動もあり、せっかく遊泳できるようになったそうだったんだけど、海岸浸食につづき埋め立てになってしまい…。
でも、金沢港クルーズターミナルが素敵なところでよかったな~。こういう背景も確かにあるんだけど、この港がますます発展してよい場所になってほしいなと願います。
クルーズターミナル1階。海が目前に。
エスカレーターを上がって2階へ。展示室やカフェも。
2階から金沢港を見下ろす。
こっちはデッキになっていて潮風を感じながら海が見られる。
白いキャップのおじいさんは父です。相変わらず歩くの早くてせっかち~。
港の風景って落ち着く。今度は子どもたちつれて行きたい。カフェも喜びそうな感じだったし夜にはライトアップもするみたいだし😁