[史料1](『上越市史』別編1、244号)
右願之趣意、景虎逢敵不動一心如泰山、破敵陣時天可到比蒼天、地到坤軸者也、如此被副仏力、毎日如前可唱仏名、仍件如、
仏前 景虎
[史料1]は燕市に伝わる維宝堂古文書の中の一通である。文意は「景虎敵に逢えば一心を動かざること泰山の如し。敵陣を破る時天は蒼天に比ぶに到り、地は坤軸に到るべきものなり。如此仏力副えられれば、毎日前の如く仏名唱えるべし。」となる。景虎はその晩年まで多数の願文を納めているが、これが最も短く簡潔である。敵に対する心構えを記しており、敵を破る時は蒼天と坤軸(地軸)に到るべしと願うなど大きなスケールをもつ。と同時、後年の願文にみられる信濃等分国の安全や武田信玄退治に関する願文のような具体性は持たず、抽象的な内容であることも特徴である。年次は特定し得ないが、弘治3年正月には長文の願文が見られることから、それ以前ではないかと思う。天文12年に栃尾城に入城し、近隣の敵を撃破しながら家督を相続し越後統一のため戦っていた最中の景虎の心中が察せられる貴重な史料であろう。
景虎の願文は謙信と名乗る晩年に至るまで武運長久や戦勝の祈願に限られていたといってよく、この文書からその軍事への強い思い入れは景虎の名前で活動していた初期からがあったと想定されよう。木村康裕氏「上杉謙信の願文」(*1)において「願文における主眼は武運長久、敵調伏であることは間違いなく、脇田(晴子)氏の指摘するように『求道者的に戦争を追求した』謙信像が浮かび上がる」としており、[史料1]はそれを象徴するような文書である。
*1)木村康裕、『戦国期越後上杉氏の研究』、岩田書院、2012
*2)参考:ララネット・新潟県生涯学習情報センター、維宝堂所蔵古文書