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今まで母方の祖母の恋について書いてきましたが、その結婚相手の祖父にも披歴する恋愛がありました。
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明治35年生まれの祖父は、長男として育てられ没落士族の一家にとっては大変な希望でした。しかし、実子ではなく他家からの養子だったそうです。その後、養母に子供が生まれ弟や妹となったのですが家を継ぐ人間として地位はそのままでした。
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祖父が、学校(逓信学校?)から帰省するときには、駅に着くと人力車の迎えを出すという待遇でしたので、妹や弟達から大層うらやましがられ後々にまで不平を洩らされたそうです。
そうはいうものの、長男としての教育は他の兄弟と違って、ずいぶん厳格なものだったらしく、勉強出来ないと祖父は親の前に長時間座らせられて叱責を受けるなど大変だったと私に話していました。
結婚後は逓信省(?)に勤務していましたが、それ以前は一等通信士として貨客船に乗っていたそうです。
たぶん日本郵船だったと思うのですが、ちょっと忘れ気味です。外国航路の貨客船は食事も洋風でスープから始まるものだったそうです。航海士の服装姿の写真が残っています。このときの経験からか祖父は和食のみでは満足せずに、色々と食べたがり、好みがうるさい祖父の為に料理が大変だったと祖母は語りました。
そういえば、我が家では和食が日常食だったのですが、祖母の処へ行くと中華も洋食も食べられました。ロールキャベツの作り方など祖母から教わったことでした。
貨客船は欧州航路だったらしくドイツにも行きました。上陸してフランクフルトに立ち寄ったときに、デパートガールのマーガレータと知りあい、結婚する気持ちになったそうです。祖父に腕を廻して寄りそう美しい女性の写真がありました。結婚したいと電報を打ったそうですが
総領息子が外国人と結婚するなんて許さないと日本では猛反対。仕方なく、「また来るよ」と言って日本へ帰国したそうです。苦笑して言う祖父でした。相手の女性には可哀そうな話でした。
その話を聞いた時には、「なんて無責任だ」と思いましたが、“武士は笑うのは片頬だけ”というとおりにめったに笑わない祖父のこと、実際にはとても辛い思い出なのかもしれません。・・・という訳で、夫婦でおたがいに好きな人の写真を持っていたことになります。
私が3歳の頃に祖父が、日向市美々津に引っ越ししました。
大人になっても、しばしば父の車で美々津に遊びに行きました。宮崎市から一時間半位はかかったでしょうか。
到着の挨拶に、祖母は声を聞きつけて出てきて顔をほころばせて皆に嬉しげに挨拶をするのですが、祖父は姿をみせません。
で、父は律義な性格でしたから部屋に入ると、掘りごたつに座ったままの祖父に向かい、畳に両手をついて挨拶をしました。
「ただ今、帰りました。」
祖父は、「帰ったか。」と一言。鷹揚にあごをしゃくるのでした。
父は、養子でもなかったのに「今日は。」とは言いませんでした。昔の人の義理の親に対する礼儀とはこういうものだったのでしょうか。
ただ、そういう姿勢を母が、私の夫にも求めるのには閉口しました。
「お父さんに、きちんと挨拶するようにアンタから言いなさい。お父さんが、美々津のじいちゃんにしたように、三つ指ついてちゃんと挨拶するのが普通よ。」
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間にたって苦しい風信子です。(ただ今、だけでいいじゃない。気さくで気を使わないから良いと夫の事を褒めていたのに・・・。)
「ひやしんすちゃん。高鍋(嫁ぎ先)に行ったときにも、玄関から上がったら、ちゃんと挨拶をして、仏様にも・・・。」
なんのなんの、高鍋では至って気楽な家風で、玄関から入るつもりで声をかけると、「居間に廻りなさい。ハイハイそこから上がんなさいよ。」
と、かた苦しいのはまったく抜きでしたよ。
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