今日のマコなり社長のインサイドストーリーズから【7つの習慣の第1、第2の習慣について】
・「人からなにを言われようとも知ったことではない。とにかく、他者の評価を気にしないことが大事だ。自分さえ良ければいい」というのは独善的な態度であり、それが主体性を発揮することではない。
・人間の世界に、バランス議論にならない話題は存在しない。よって、他者の視点を取り入れる主体性もあり得る。
・周囲の意見を取り入れつつも、最終的に採用するかどうかを判断するのは自分である。「あの人が言っていたから」と言って、人のせいにすることはできない。人の意見を無視して突き進んで出た結果にも責任を持たなければならない。これは、無視したから責任を取らなければならないということではない。周囲の意見を取り入れたり無視したりして、どんな結果が出たとしてもその結果を受け入れなければならない。
・他者を無視するのも、他者の意見を取り入れるのも主体性を発揮することになり得る。主体性を発揮しないとはどういうことかというと、人の意見を取り入れてやってみた結果に対して「あの人が言っていたのに失敗した。私は悪くない」と捉えるスタンスである。どんな結果であろうと、責任を持たなければならない。全て自分の責任のもとで、人生は進んでいくという覚悟を持とう。
・主体性を発揮することは自分がコントロールできることだけに集中することである。常に今この瞬間の自分ができることだけに集中する。これからどうするかを考えるとも言える。それが、真の「主体性を発揮する」である。
・あまりに「自分のために全ての人を活用してやる」という姿勢が強過ぎると、手段が目的化する瞬間がある。具体的には「人の意見を聞かないことこそが主体的に動いている姿だ。逆張りをしたり、天邪鬼な態度や批判的な態度を取ったりすることが主体性を発揮した良い人生である」と捉えたときである。つまり、性格の悪い人間になることが目的化する。主体性を履き違えると、嫌われること自体が目的になってしまう。「他者の期待を満たすような行動=主体性を発揮していない」というのは、勘違いである。
・「終わりを思い描くことから始める」という言葉の本質は、自分が死んだときのイメージを使って、今この瞬間に本当に大切にしたい価値観はなにかを炙り出すことにある。自分の価値観を炙り出すのが目的であり、その価値観を貫き続けた結果として人がどんな言葉をかけてくれているかを想像することとも言える。そこから逆算して最期のイメージを具体的にすることで「あれ?自分はどんな価値観でいるべきなんだっけ?」ということを炙り出す。
・人間は、他者との関わりの中で生きていく。「自分の人生の最期の日に、周りの人が何と言ってくれているだろうか?」というイメージを具体的にすることは、今の自分の価値観を炙り出すためのツールである。