ジョンとわさび(イメージ図)
ココはびっちゃんブログですが、今日はワタシが昔飼っていたジョン(柴系雑種♂)の話題。
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明日は阪神大震災からちょうど14年。
中越地震の被災地・山古志村にとり残されたわんこ(マリ)が子犬とともに強く生きていた話が映画化されたりしましたが、私も同じような…というにはかなりおこがましいですが、こんな経験をしました…。
ウチにはジョンという外飼いのわんこがおりました。
溺愛しておりました(笑)
でも離れて暮らすようになりました。
私が下宿生活を始めたのです。
そんなとき、震災が起こりました。
わが家は被災しました。
いや、厳密にはワタシは…ではなく、家族が被災したのです。
住んでた家は壊れ、引越しを余儀なくされました。
運よくすぐに見つかった…のですが、住めることになったところは集合住宅だったので、ジョンを連れて行けなくなりました。
それを聞いた私は母に
「なんでそんなとこに移るのん!ジョンはどうするんよ!!ジョンもいっしょに移れるところを探してよ!!」
と電話で声を荒げて言ってしまいました。
すると母は
「…わかってるよ…そんなん…お母さんらをいじめんといてよ…。お母さんらも自分らが生きていくのに必死やねん…」
と、か細い声で涙ながらに言いました。
私は言葉を失いました。
被災地がどんなに大変な状態か…。
下宿先でぬくぬくと暮らしていた私には、被災地の過酷な状況がわからず、心無いことを言ってしまったのです。
飼い犬を家族同然に思っていても、所詮犬はペット。
当時、避難所や仮設住宅に犬は連れて行けないようでしたし、飼い主がまず『生き延びる』環境を整えなければ、飼い犬を養う余裕すらなかったんです。
自分たちの食べるものを調達するのに奔走せざるをえなかった当時、住む家を『選ぶ』余裕などなくて当然でしょう。
中越地震の際も、「飼い犬は家族なのに…」といった意見を耳にしたことがあります。
気持ちはわかります。
ワタシも同じ思いでした。
でも、「非常事態」って想像以上に「非常事態」です。
新しい家と壊れた家は近くはないけど、徒歩で行けるところだったので、しばらくは前の家で飼い続けることになりました。
両親は新しい家の近くでジョンを飼えそうな場所を一生懸命探してくれました。
ワタシも下宿先でジョンを飼えないか、大家さんに相談しようとしましたが、当時、道も断絶している状態。
ワタシが帰ることすらできないのに、犬を連れてくる、なんて到底できませんでした。
でも、ほどなく、新居のすぐ近くに、あつらえたような小さい空きスペースがあり、そこで飼わせてもらえるよう、話をしてくれました。
別居な状態でしたが、いちおう窓から覗けば、犬小屋が見える場所でいっしょに暮らせるようになりました。
震災をきっかけに、わが家は愛犬と別居を余儀なくされました。
それでもジョンを手放さずに済んだこと、別居とはいえ目と鼻の先で飼える環境だったことはありがたいことだった、と、今でも理解を示してくださった周りの方々には感謝のきもちでいっぱいです。
両親が奔走してくれたから、というだけではなく、地域の方の協力があってのことでした。
いい方たちに恵まれてました。
ジョン新居にて…(たまに家の中に入れることを認めていただきました)
その後も、ジョンと同居はかなわず、別居状態のまま、看取ることになり、ジョンには不憫な思いをさせたと思います。
それでも私たちは、そのとき私たちができる最善のことをやったんだ、と思っています。
犬を迎える、ということは、命を預かるということ。
たかが犬。
されど犬。
このブログをご覧いただいている方々も、それ相当の覚悟をもって、愛犬を迎える決意をされたことと思います。
有事の際もわんこと生活を続けていくためにはどうすればいいか…。
こんな経験をしたワタシですが、実際のところ、ジョンだからこそ、この有事を乗り越えられたんだと思います。
もしこれが、わさびだったら…と思うと、どうなっていたかわからないし、またどうしていいのかわからない…というのが正直なところです。
想像するのは非常に難しいことですが、震災の日にわんこのことも少し考えていただければ、愛犬ジョンも浮かばれるんじゃないかな、なんて思います。
強く、たくましく、凛々しく、そして利口に生きてくれた、亡き愛犬ジョンに感謝と尊敬の念を抱きつつ、明日の震災の日を迎えようと思います…。
順位付けのひと噛み?
びっちゃん…、ジョンはあなたの4倍ほど大きかったのよ(笑)