地震が起こった日のことを初めて書きます。
勤務の担当は井口郁恵先生。当日は、学校行事があったために、朝からの保育希望者はありませんでした。希望が丘小学校の学校行事が終わってから、10名ほどの子ども達が帰って来ることになっていました。お昼過ぎにセンターを開けてみんなを待っていました。
美佳先生は、作品展のセンターの製作であるシャツを染めるため、試験的に染めに来ていました。
川上は、11月の東京演奏旅行に向けて、新しい携帯電話を買おうと思って、お昼過ぎからヤマダ電機のケータイ売場で30分も悩んでいました。しかし、なかなか決まらず、センターにいる美佳先生、郁恵先生にアドバイスをもらおうとセンターに向かいました。
センターに着き、カタログを見ながら話を聞いているうちに、だんだん面倒くさくなり、外も薄暗くなってきた(日が陰ってきた)ので、「今日は携帯買うのはやめよう」となりました。
15時を回り、希望が丘小の子ども達が次々と帰ってきました。3年生の女の子達が来る頃には、今日のおやつを作ろうと決め、すぐに4名の女の子とツチダに買い物に行きました。
センターに戻り、女の子4人と一緒にホットケーキを作り始めました。しかし、粉を混ぜて、ホイップを泡立て、バナナを切って、焼き終わる頃には、17時近くになりました。食べ始めたのは17時をかなり回っていたと思います。
たまたまそこに、保育園の作品展の製作の色塗りに、希保職員の石附さんが来ていました。
コーヒーを飲みながら、川上、美佳先生、他数名で喫茶室でしゃべりながら、ケータイの話をしたり、このブログには写真も送れるんだぜ、ほら、なんて言いながら
この写真を撮ったり、
唯菜さんの写真を撮っていました。
しかし、唯菜さんの写真を撮って、送信した直後だと思います、
川上、美佳、郁恵先生はカウンターの中、唯菜さん、他数名がカウンターの向こうの椅子のところに。他の数名は体育館に、石附先生が、オルガンの部屋にいました。
ドン、ガサガサ、ガサガサガサガサガサガサ!!!!
地震だ!と思ったら、もう逃げることも何もできない。メチャクチャに大きく揺さぶられました。自分の体勢を維持することしかできませんでした。美佳先生がしゃがみ込んだ頭上で、喫茶室のテレビがグラグラしていたのが見えました。それを左手で押さえて、みんなに、とにかく「あっち(オルガンの部屋)に行け!」としか言えませんでした。続いて電気がパチンと消えました。
子ども達の反応は、一瞬は何が起きたのかという感じで、笑っているような声も聞こえましたが、繰り返し来る大きな揺れに、すぐにただ事ではないと悟ったようでした。大きな声でみんなが叫び始めました。
自分もオルガンの部屋に逃げようと移動すると、「染め」に使っていた「(ガスの)火を消してください!」と誰かに言われて、あわてて戻り消しました。
たびたび繰り返し来る余震に、子ども達が悲鳴をあげます。逃げることもできずに、ただ「大丈夫だよ。大丈夫だから。大きな声出さないんだよ。」と繰り返しました。ツチダも暗くなっているのが見えました。
すぐに井伊さんのお父さんお母さんが迎えに来てくれました。そのころにはみんなが玄関の中の机周辺に身を伏せていました。落ちてくるものは無いので、出口が近いところの方が安心と思っていましたが、余震が少しも収まりません。子ども達はお父さんお母さんの姿を見て、堰を切ったように、大きな声を上げて泣き始めました。
「壊れちゃうから早く外に出た方がいいよ!」と言われて、そうなのか!と思いつつも、外も落下物があるから危険だと思い、外に出ることができませんでした。
どのくらい時間が経ったのかわかりません。舞衣さんのお母さんがお迎えに来ました。そして井伊さんのご両親に桜井さんの兄弟をお願いできることになりましたが、小川さんのおうちと連絡が取れません。美佳先生達に連絡を任せ、川上は保育園の様子を見に行くためにその場を去りました。ずっと胸騒ぎがしていました。
真っ暗な道に、あわただしく走り回る車やバイクの音だけがしていました。