*土屋理敬作(1,2,3) 歌原鷲演出 公式サイトはこちら 下北沢 小劇場B1 5日まで
「一昨年前に、『色々試す場所を作ってみないか?』という話を原田大輔にしました。そこから生まれたのが『九十九ジャンクション』という演劇ユニットです」。当日リーフレットに掲載されたツクモ芸能編集長大竹周作の挨拶文である。
大竹、原田ともに演劇集団円所属の俳優だが、演劇界だけでなく、さまざまな分野から参加を求め、新しいク創作活動をしようということだろう。プロデュース形式で、主に書き下ろし作品を中心に公演を行うというから、劇作家育成、作品発掘の場としても楽しみなユニットだ。
その記念すべき第1回公演は、待ちに待った土屋理敬の最新作だ。例によって人の名前をタイトルに用いており、「本間さんて誰だ?」「ころばないってへん」と、みる前からこちらの想像力を掻きたてる。5年ぶりのこの感覚に、開演前からもうぞくぞくわくわくする。
小劇場B1は、演技スペースを客席が二方向から迫るかたちである。開演前の薄暗い舞台に目を凝らすと、部屋の壁に作りつけの本棚がふたつ、あとはもうそこらじゅうにいろいろなものが置いてある。おもてのガラス戸に「古書買取」の文字があるところをみると、ここは古本書店か?
開演が近づいて突然、手前の通路に出演俳優のひとり、歌川貴賀志が登場した。はじまったかと思ったら、お客様へのご挨拶と注意事項で、このあたりはグリフラ(1,2,3,4,5)の『かっぽれ!』シリーズにそっくりである。歌川さんは、客席と、そしてたぶん出演される俳優さんたちをリラックスさせるのがお上手なのだろう。
舞台はやはり古本書店で、父親から譲り受けたアマノ夫婦(大竹周作、小嶋佳代子/民藝)が経営している。そこに妻のコーラス仲間で市役所の広報誌担当のフナキ(歌川)が、ライター兼カメラマンのヤギ(平野圭太)、ミキという男性を連れて訪問する。
ミキは小学生のころ、川で溺れていたところをこの書店のあるじに助けられた。それがいまの店主の父親である。広報誌に町の感動秘話を連載するため、店で座談会を行うというのである。
上演中の演目のため、内容について書けるのはここまでだろう。
いや、ここから先は「続きを読む」になっているから書いてもいいのだが、それがためらわれる。
どうということのない日常会話がつづいていると思ったら、何かのきっかけでその場が軋んだり歪んだり綻びたり、そのうち普通にふるまっていた人が、とんでもなく重苦しい事情を吐露しはじめる。土屋作品のパターンといえばそうなのである。今回も同じであった。
川で溺れていたところを助けられた小学生はじつは・・・、小学生を助けて自分は溺れて死んでしまった父親はじつは・・・、少年野球チームの監督をしている店主はじつは・・・といったことが次々に明かされていく。
事情や秘密を第三者が証拠をならべて告発するのではなく、当事者がどうしようもなくなって、ぶっ倒れるくらい苦しみながら告白、懺悔するのである。
当事者のせりふはどうしても長くなり、説明せりふ的になってくる。しかしその人がそこに至るまでの苦しみが伝わってくるから、「説明せりふ」のマイナス面が抑制され、みるものをいよいよ惹きつけるのではないだろうか。告白するの俳優は、男性も女性も本泣きしていることが多い。小さな劇場で強烈な表現の演技をみることはつらいのだが、こんなにつらいこと、悲しいことがあって、しかもそれを人に話さなければどうしようもなくなるなんて、どうがんばっても泣いてしまうよなあ・・・と察せられ、こちらまで胸が苦しくなってくるのだ。
舞台の設定以外、具体的なことをほとんど書けなかった。
いつかしっかりと書きたいと思う。
土屋理敬作品の希望はほんとうに微かだが、実感がもてる。かんたんに問題解決させないところ、それでも明日も生きていくことなどなどを考えて、見終わるとことばを失う。
その感覚を嬉しく味わいながら劇場をあとにした。
できればもっとたびたび土屋作品をみたい。
こちらこそはじめまして、
劇評かわら版因幡屋通信ならびに因幡屋ぶろぐ主催の宮本と申します(負けずに長い自己紹介を!)。
ブログをお読み下さったこと、ならびにコメントをありがとうございます。
ほんとうに待ちに待った土屋理敬さんの新作舞台、嬉しく拝見いたしました。
今日は千秋楽でしたね。
お疲れさまでした。
大竹さんの終盤の台詞を聴いて、「辛いですよ、わたしも」と涙が出そうになりました。
辛さの内容や度合いは、アマノさんとはまったく違うのに、不思議です。
これからの活動を心から楽しみにしております。
こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。