因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

渡辺源四郎商店第8回公演『どんとゆけ』

2008-10-18 | 舞台
*畑澤聖悟作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 19日まで

 青森県津軽地方に「ゴニンカン」というトランプゲームがあるそうだ。本作は死刑制度にゴニンカン、更に『巨人の星』をトッピングした舞台だという。タイトルの「どんとゆけ」は『巨人の星』のテーマソング「ゆけゆけ飛雄馬、どんとゆけ」から来ているらしいのだが、それが死刑制度とどう繋がるのか。

☆裁判員制度や死刑制度の是非の議論が熱い今、時を得た作品かもしれません。設定が非常に特殊なので、ここからご注意くださいませ☆

 とは言ったものの、この舞台のどこをどう書けばよいのだろうか。「死刑員制度」という架空の設定のもとに進行する話である。これから被害者遺族の手によって死刑が執行されるのだという。のんびりとした青森言葉でそのことが知らされたとき、一瞬「冗談だろう」と思った。架空の設定、近未来の話とするには登場人物の会話や服装、家具調度類はごく普通で、そんな調子でこの民家で死刑が行われるというのは受け入れるのが難しい。当然のことながら被害者家族の心情は筆舌に尽くしがたく、また死刑囚の家族が離散したことも痛ましい。どちらも絶望的に救われないのである。

 和室の一部屋が床から浮き上がっているように舞台が作られており、周囲には夥しい食器や電化製品などの日用品が置かれている。正面の壁は黒く、白い絵の具で窓から見える風景が描かれていたように記憶する。日常的な場所であるとみせて、現実から浮遊した空間を作り、死をもって罪を償うことは可能かという大変に重苦しい問いかけを提示している。殺された家族を元通りに生き返らせない限り、被害者は加害者を赦さない。それは不可能だ。被害者も加害者も歩み寄れないまま、また加害者の家族も言葉にしがたい苦痛を抱えて生きていかねばならない。

 夫と可愛い盛りの息子2人を殺された妻と、死刑囚と獄中結婚した女性が対峙する。どちらにも微妙にざらついた嫌な印象を持った。自分はどちらの立場も経験がない。しかし、想像しないと。

 10月18日朝日新聞に「悩みのレッスン」というコーナーがあり、今日は20歳の女性が「自殺した妹を救えなかった、償いたい」と悩みを寄せていた。創作家明川哲也の答は実に思慮深く温かいもので、何度も読み返している。『どんとゆけ』と繋げるのは無理があるが、どう書いてよいかわからない今夜の自分にとって、ひとつの救いである。

 購入してそのままにしていた森達也の『死刑』(朝日出版社)をようやく手に取った。来月はスタジオソルト公演『中嶋正人』が控えている。ともかく考えよう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« JAM SESSION 『東海道四谷怪談』 | トップ | 霜月の予定 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事