*サジキドウジ作 東憲司演出 ベニサン・ピット 公演は12日まで。公式サイトはこちら。この記事にはネタばれがありますので、ご注意ください。
「?ソコハ、海賊ノ末裔ノ地」激しい赤が目を射抜くような油絵調のチラシがずっと気になっていた。予備知識もほとんどなく、公演が始まってからようやく見に行くことを決める。
ベニサン・ピットといえばTPTの翻訳物という感覚が普通になっていたのだが、劇場に着いたところからいつもと様相が変わっていることに驚く。入り口で迎えてくれるのも場内で客席へ案内してくれるのも、既にメイクをし、衣装をつけた役者たち。ロビーには「桟敷童子」の幟旗、鳥居の下をくぐって客席につく。異界へ足を踏み入れるような期待と不安。海猫の鳴き声が聞こえる舞台に開演5分前からボロを纏った老女が現れ、海猫に餌をやる仕草を繰り返す。やがて「みんな行ってしまった」とつぶやき始めると、天井から夥しい量の紙吹雪が舞い落ち、女たちが力強く歌い始める。老婆はボロを脱ぎ捨てる。そこにすっくと立つのは白い髪と肌をもった少女イサナ(板垣桃子)。序幕からフィナーレのような大迫力。
時代は日露戦争の後。海賊の末裔嶽崎一家と海女たちの家族が互いに交じり合わずに暮らす極貧の集落に、政府公認の視察団玄海憂鯨社の人々(南谷朝子ほか)がやってくる。彼らのお眼鏡に適えば村は栄えると沸き立つ嶽崎一家だが、視察団は海の調査のために、危険な場所へ潜ることを海女たちに持ちかける。視察団は二つの一族の断絶を利用しながら彼らを翻弄する。やがて視察団の真意を知った村人たちは団結し、自分たちの土地を守るために立ち上がるが・・・・。
ひとつだけ気になったのは、女優が肌を晒す場面があること。どれも必然性は感じられなかった。観客をちょっとびっくりさせる程度なら必要ない。正直目のやり場に困るし、女優さんが気の毒です。
アングラの匂いがいっぱいに溢れるような舞台だが、物語はシンプルで人物関係もわかりやすい。舞台には夥しい材木で足場が組まれ、後半台風に襲われる場面では、あっと驚く大仕掛けが。これにはほんとうにびっくりした。セットが客席に倒れてくるのではないかとすら思った。劇場で恐怖を感じたのは久々である。これを見てしまうと、舞台に雨を降らせたり、本水を張ったり程度の演出はぶっとんでしまう。まったく緩みのない2時間で、血が騒ぐような感覚にからだが震えた。終演後、つい数分前まで舞台で叫んでいた役者さんが、ロビーでアンケート用紙を回収し、出口で見送ってくれる。ありがとうございました、お気をつけてという言葉がマニュアルでもルーティンワークでもなく、ほんとうに温かく丁寧で、来てよかったと心から嬉しくなった。劇場を出て、強い酒を一気にあおった後のようにぼんやりと、しかし高揚した気分で夜の森下を歩く。桟敷童子という劇団と出会えた喜びと、桟敷童子のもつ爆発的なエネルギーをがっちり受け止め、いよいよ大きく熱く燃え立たせるベニサン・ピットという劇場の力を再認識できた、大収穫の一夜であった。
「?ソコハ、海賊ノ末裔ノ地」激しい赤が目を射抜くような油絵調のチラシがずっと気になっていた。予備知識もほとんどなく、公演が始まってからようやく見に行くことを決める。
ベニサン・ピットといえばTPTの翻訳物という感覚が普通になっていたのだが、劇場に着いたところからいつもと様相が変わっていることに驚く。入り口で迎えてくれるのも場内で客席へ案内してくれるのも、既にメイクをし、衣装をつけた役者たち。ロビーには「桟敷童子」の幟旗、鳥居の下をくぐって客席につく。異界へ足を踏み入れるような期待と不安。海猫の鳴き声が聞こえる舞台に開演5分前からボロを纏った老女が現れ、海猫に餌をやる仕草を繰り返す。やがて「みんな行ってしまった」とつぶやき始めると、天井から夥しい量の紙吹雪が舞い落ち、女たちが力強く歌い始める。老婆はボロを脱ぎ捨てる。そこにすっくと立つのは白い髪と肌をもった少女イサナ(板垣桃子)。序幕からフィナーレのような大迫力。
時代は日露戦争の後。海賊の末裔嶽崎一家と海女たちの家族が互いに交じり合わずに暮らす極貧の集落に、政府公認の視察団玄海憂鯨社の人々(南谷朝子ほか)がやってくる。彼らのお眼鏡に適えば村は栄えると沸き立つ嶽崎一家だが、視察団は海の調査のために、危険な場所へ潜ることを海女たちに持ちかける。視察団は二つの一族の断絶を利用しながら彼らを翻弄する。やがて視察団の真意を知った村人たちは団結し、自分たちの土地を守るために立ち上がるが・・・・。
ひとつだけ気になったのは、女優が肌を晒す場面があること。どれも必然性は感じられなかった。観客をちょっとびっくりさせる程度なら必要ない。正直目のやり場に困るし、女優さんが気の毒です。
アングラの匂いがいっぱいに溢れるような舞台だが、物語はシンプルで人物関係もわかりやすい。舞台には夥しい材木で足場が組まれ、後半台風に襲われる場面では、あっと驚く大仕掛けが。これにはほんとうにびっくりした。セットが客席に倒れてくるのではないかとすら思った。劇場で恐怖を感じたのは久々である。これを見てしまうと、舞台に雨を降らせたり、本水を張ったり程度の演出はぶっとんでしまう。まったく緩みのない2時間で、血が騒ぐような感覚にからだが震えた。終演後、つい数分前まで舞台で叫んでいた役者さんが、ロビーでアンケート用紙を回収し、出口で見送ってくれる。ありがとうございました、お気をつけてという言葉がマニュアルでもルーティンワークでもなく、ほんとうに温かく丁寧で、来てよかったと心から嬉しくなった。劇場を出て、強い酒を一気にあおった後のようにぼんやりと、しかし高揚した気分で夜の森下を歩く。桟敷童子という劇団と出会えた喜びと、桟敷童子のもつ爆発的なエネルギーをがっちり受け止め、いよいよ大きく熱く燃え立たせるベニサン・ピットという劇場の力を再認識できた、大収穫の一夜であった。
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