因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

パルコ『欲望という名の電車』

2011-04-28 | 舞台

*テネシー・ウィリアムズ作 小田島恒志翻訳 松尾スズキ演出 公式サイトはこちら パルコ劇場 5月1日まで
 先に観劇した知人は「杉村センセイがご覧になったら、なんとおっしゃるやら」と言い、いくつかのネット劇評を読んでも、『欲望という名の電車』は「杉村春子のブランチ」に強く支配されているらしい。自分は幸か不幸か、杉村春子版をみたことがない。自分の『欲望~』体験は、1983年夏、青年座の東恵美子版、2002年春、蜷川幸雄演出、大竹しのぶ版、2007年秋、鈴木勝秀演出、篠井英介版の舞台であった。それぞれに特色、主張があり、演出家や俳優として一度はやってみたい魅力的な作品であるらしいことはわかったが、「この人のブランチこそが決定版だ」という印象はなく、演じられる人はまだまだいるのではないかというのが実感であった。

 

 予想していたより地味で、堅実な作りの舞台である。これまで数回みた『欲望~』のなかで、最も好もしい印象であった。演出家の「こう見せたい」、俳優の「わたしはこう演じたい」という主張よりも、戯曲に対して謙虚で慎重な姿勢が感じられたためである。ところどころ松尾スズキ的、大人計画的な箇所はある。たとえば後半、スタンリーからブランチの行状を知って打ちひしがれたミッチがブランチの顔を明るいところでみようとする場面が、まさかの演出になっている。自分は基本的に戯曲に手を加えずないほうが好みであるのにも関わらず、「はい?」とびっくりし、なおかつおもしろいと思った。それがなぜかをこの記事において明確にすることはできないが、「これが自分の新解釈だ」という演出家の強烈であからさまな自己主張にはみえなかったためではないかと思う。

 俳優本人が演じたいと願い、あなたのあの役をもっとみたいという観客が熱烈なエールをおくることを決して否定はしないが、ひとりの俳優が「当たり役」として長年にわたって演じ続けることには功罪がある。いろいろな演出家、俳優が作品に向き合い、競い合う。観客はさまざまな『欲望~』をみながら、自分の感覚を探ってゆく。そのほうが作り手も観客も豊かになれるのではないか。
 前述のように自分は杉村春子版をみておらず、名舞台を見逃して残念な反面、杉村ブランチの影響をまったく受けていないという点において非常に自由であるともいえる。
 知人の「杉村センセイが・・・」のひとことはいい意味であったこと、知人が今回の松尾スズキ演出の舞台、秋山菜津子のブランチを楽しんだことがわかった。自分も楽しみ、改めて本作に対する興味がわいてくる。これからも新しい演出家、俳優がどんどん挑戦してほしいと思う。

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