*高木登作・演出 公式サイトはこちら 下北沢「劇」小劇場 26日まで(1,2,3,4,5,6) 全公演でアフタートークを開催。本日はミナモザ主宰の瀬戸山美咲がゲスト。
時代は特定されていないが、少なくとも携帯電話やパソコンは出てこない。表向きは旅館、しかしなかは遊郭である。といっていわゆる吉原のようにお女郎さんの住まいを兼ねているわけではなく、そこで働いている女たちは「通い」でやってくる。おかみは和服を着ていかにもそれらしい風情、女たちはしどけない洋装だ。
なじみの小説家黒崎(平山寛人)に付き添われて、同業の男板倉(今里真)がやってくる。37歳にして女を知らない板倉にこの店いちばんの玖美子(秋澤弥里)をあてがい、行為の前後で彼の書くものがどう変わるか知りたいという黒崎の趣味はいただけないが、興味深い設定ではある。
いかにも潔癖そうな堅物を想像するのだが、今里が演じる板倉はそれを微妙に裏切りる造形をみせる。玖美子は慣れた調子で黒崎を扱おうとするが、板倉はかんたんに応じない。絵物語のような純愛を追い求めているのか、それとも?作者は板倉をどこに着地させ、観客をどこに連れてゆこうとしているのか。
本作は作者が机上風景という劇団に在籍していた5年前に初演されている(筆者は未見)。そのさいは平山寛人が板倉を演じたとのこと。今回の改定版では女にも文学にも手だれの黒崎を飄々と演じている平山だが、そちらもみたくなった。ならばと欲が出て、今回板倉役の今里真が黒川を演じる配役もじゅうぶん考えられる。それほど平山、今里ふたりの俳優は高木登の戯曲がもつ独特の癖やゆがみを肌感覚でつかんでいるように感じられるのである。
どちらもたいそうな二枚目でいわゆる色気を身にまとっているのだが、タイプはことなる。今里はパラドックス定数公演で刑事や弁護士など、ものがたい職業の人物を多く演じており、いっぽう平山は仕事も性格もよくわからない浮遊性のある人物がよく似合う。個人的には瀬戸山美咲作・演出の『ホットパーティクル』で演じた、主人公の元カレ・じゅんちゃんが記憶に新しい。元カノに「家出なう」と電話する声の明るいこと。「じゅんちゃん」には客席をほっとさせる魅力があり、いつも鵺的で重苦しい役柄を演じている平山からは想像しにくいすがたであった。
さて『幻戯』であるがサスペンスの要素をもち、終盤ではホラーの様相を呈してくることもあって詳細は書けない。あそこでまさかの展開になったとき、頭で構造を理解、把握しようとしないほうがいいのだろう。アフタートークにおいて、高木登が「解釈の稽古はおこなった。そうしないと俳優は演じられないから。しかしお客さんはそうしなくてもいい」と語っていたことに安心しながらも、「自分の理解で合っているのだろうか」という不安も消えない。いやこういう不安もふくめて『幻戯』の劇世界とすればいいのか。
女を知ったとたん、性格も小説の作風も激変した板倉の造形が、ことばでどう表現するのが的確なのか思い悩むほどであり、37歳まで女知らずだったことじたいがそもそも嘘であったのかもしれないと思わせる。今里はjacrowの番外公演において、部下を自殺に追い込んだ自責の念から精神を病んだ上司を演じた。そのさい「まとも」と「異常」の境界が揺れ動く様相にぞくぞくさせられたことを思いだす。今里真は決して類型的な揺れ方、壊れ方をしない。
暗転になったときに流れる女性の独白が流れる。録音されたものが(あるいは発語は生でも機械を通している?)が聞こえてくるのだが、その音質がいまひとつ劇の空気にしっくりしていない印象をもった。作劇、あるいは演出が意図をもって敢えてこの音質を採用しているのかどうかはわからないが。
いいかげんにこの記事をまとめなければならないのだが困惑や疑問が消えず、最後まで行き着けない。しかし、そもそも何がこの魅惑的な物語の結末なのだろう。観劇の手ごたえは、はっきりしたもの、確かなものをどうしても求めてしまう。だがそうではない、違う感触の手ごたえが潜んでいる作品もある。『幻戯』は自分のなかでは終わりそうにない。続編や後日譚ではなく、これから書かれる高木登の作品に板倉や黒崎を投影させた人物が現れるのではないか。謎解きの答を求めようとはやる気持ちを抑え、備えをはじめよう。
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