*公式サイトはこちら Aプロ、Bプロに続くCプロは、四段目・道行初音旅、河連法眼館の場である。桜が満開の吉野山に、都を追われた義経のもとへと静御前と家来の佐藤忠信が旅をしている。鎌倉方の追手を難なく躱す忠信だが、どことなく怪しい気配を漂わせているそのわけは…。
舞踊中心の「道行初音旅」に続く「河連法眼館」では、尾上菊之助による佐藤忠信と源九郎狐二役が見どころである。源九郎狐と言えば市川猿翁がケレンの魅力を全面に出した早替わりと宙乗りの澤瀉屋型が思い浮かぶが、今回は狐の親子の情愛に重点を置いた音羽屋型である。
2016年の六月大歌舞伎についての劇評(朝日新聞/天野道映)を読み返してみる。通し上演の締めくくりの「狐忠信」の段を「燦然と輝いている」と絶賛。猿之助が、猿翁の確立した型を継承し、鋭い感性を以てさらに独自の造形に成功したこと、親狐の皮で作った鼓を与えられ、喜びに溢れて飛び去る様子の素晴らしさを称えている。
「義経千本桜」と題名にある通り、義経は重要な役どころではあるが、主人公ではない。この長大な物語の主人公は、「流転する義経に翻弄された三人の男たち」(2016年六月大歌舞伎チラシより)なのである。第一部の平知盛は義経転覆を果たせず、海中に身を投げる。第二部のいがみの権太は、女房せがれを犠牲にしてまで平維盛を助けようとするが失敗する。いずれも負けてしまった男、滅んでゆく者のすがたが描かれているのだ。取り返しのつかない悲劇であり、やりきれない悲しみが色濃く支配する。
この悲しみを、幻想的な幸福に昇華するのが「狐忠信」なのだ。まっ白な衣装に身を包み、喜びに溢れて花道を駆け抜ける(猿之助は宙乗りで)狐忠信は、これまでに滅んでしまった人々の魂を救い、観客には「これまでの辛い物語を見続けてきた甲斐があった」と満足させてくれるのである。
今回のネット視聴を以て、「義経千本桜」を通しで観劇したとは言えないだろう。しかしながら、過去の観劇歴を振り返り、切れ切れの記憶や手元の資料を整えることで、今度本作に会う日をいっそう楽しみになった。役者が花道を通るたび、画面に映る空っぽの客席によって、無観客上演であることを否応なく思い知らされる。役者、スタッフ、関わる方々の無念を想像するとやりきれないが、その日の訪れを信じて待ちたい。
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