因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ネットで歌舞伎☆国立劇場 3月歌舞伎公演「通し狂言 義経千本桜」Bプロ

2020-04-19 | 舞台番外編

*公式サイトはこちら Aプロに続くBプロは、三段目・下市村椎の木の場/同 竹藪小金吾討死の場/同 鮨屋の場である。下市村の茶屋で平維盛を探す御台の若葉の内侍と若君の六代、家来の主馬小金吾と、「いがみ」と呼ばれる無法者の権太が出会う。親切ごかしで小金吾から金を巻き上げる権太のあくどい手並みには食傷させられるが、女房せがれとやりとりするなかにふと権太の心根が垣間見える。せがれの手を取り、「冷てえ手だなァ」。このひとことが観客の心を和らげ、後の場の悲しみをいっそう際立たせるのである。

 鮨屋の場は、主君への忠義と家族への愛情の板挟みの辛さや、ほんの少しの行き違いや思い込みが取り返しのつかない悲劇となる様相がこれでもかというほど執拗に描かれており、「仮名手本忠臣蔵」の六段目「勘平切腹」の場を思わせる。何度観ても歯がゆく、瀕死の怪我人に手当もしてやらず長々としゃべらせることに激しく困惑もするが、これほどの修羅場、愁嘆場から観客に劇的感興を覚えさせるのは歌舞伎の魅力というか、すさまじい威力というか。

 いがみの権太を演じるのは尾上菊之助である。舞台の上でも品行方正の好青年役の印象が強いが、若葉の内侍と若君の顔に手足を掛け、「面ぁ上げろ」という野太い声はどきりとするほど父の菊五郎に似ており、引き立てられる母子(実は自分の女房せがれ)から目を離せず、「お頼み申しませ」と呆然と繰り返すところ、前半ではえげつないまでに金に執着し、家族を泣かせながら、最後に善人に立ち返り、その本心を明かす「モドリ」の場の悲しさを丁寧に演じたことを覚えておきたい。昨年の二月大歌舞伎で平維盛を演じた同じ人であることに、改めて驚くのだが。

 朝日新聞「折々のことば」(2019年7月4日)より、「権太はお前の家のもんだ。五代目(幸四郎)のもんだ」。『松緑芸話』に収められた六代目尾上菊五郎の言葉である。鷲田清一は「昭和の歌舞伎役者、二代目尾上松緑の父、七代目松本幸四郎は、三男松緑が15歳の時、名優菊五郎に預けた。以後、菊五郎がつける稽古に一切口を挟まなかった。『すし屋』の権太は、江戸期に五代目幸四郎が得意とした演目。松緑が初役を勤めた際、菊五郎は客がいるのも構わず大声で然り、せりふまで付けたという。子が他人に預ける文化。巷から消えて久しい」と解く。

 この二代目松緑の「いがみの権太」を当代の菊五郎が受け継ぎ、その息子である菊之助(当代の松緑へも)があとに続く。祖父や父の演じ方通り勤めることにはじまり、その匂いを出すこと、やがて演じる役者その人自身権太へと結実していくのであろう。六代目菊五郎はもちろん、二代目松緑、初代辰之助ともに観ることが叶わなかったが、目の前の役者からいにしえの役者の舞台を想像することができれば、いっそう味わいを深めることができるだろう。

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