因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

東京ギンガ堂『ねこになった漱石』

2008-06-09 | 舞台
*品川能正作・演出 「ねこになった漱石」上演実行委員会共催 後援新宿区 公式サイトはこちら 歌舞伎町特設テント 15日まで
 
 もしかしたら今年の自分は「漱石づいて」いるのだろうか。3月にフライングステージの『新・こころ』をみて以来、原作を読み直したり、漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、悩み抜いて強く生きることを説いた姜尚中の『悩む力』(集英社文書)を思わず手に取ってしまったり。熱烈な漱石愛読者ではないのだが、漱石と聞くとなぜか心が動かされる。もっと気楽に生きればいいのに、どうしてこの人は(小説の主人公、漱石自身)こんなにあれこれ考えるのだろう。本人はもちろん周囲の人も辛そうだ。だが「特殊でとんでもない人」とひとくくりにできず、気になってしかたがない。

 その漱石が新宿・歌舞伎町のテントで音楽劇になった。上演実行委員会には中山浩子新宿区長をはじめ、町内会や商店街振興組合の方々が名を連ねる。初日のテントはご近所の皆さんが大勢でやってきた賑々しさが溢れ、まさにお祭り気分である。

 ☆テント芝居ならではのお楽しみもありますので、未見の方はこのあたりからご注意を☆

 舞台はまさに死を迎えようとしている漱石の家で、肉体からさまよいでた漱石の魂(西本裕行/昴)が自分の一生を振り返る形ではじまる。複雑な生い立ち、家族との確執、友人との出会い。いったい一人の人生にこれほど難儀が降りかかるとは。だから漱石は小説を書いたのか、漱石に小説を書かせるためにこのような運命が与えられたのか。

 漱石が飼っていた「ねこ」の目を通して描かれる漱石の生涯が、ピアノの生演奏、歌やダンスに乗せて賑やかに繰り広げられる一種の評伝劇であり、こまつ座や音楽座、ふるさときゃらばんの舞台を思い起こさせる。通常の劇場で上演しても問題のない作りであり、テントという特殊な設定が少しもったいなく感じられた。俳優の声が聞き取りにくかったり、全体的にいささか騒々しく盛りだくさんで、俳優の熱演に少し引いてしまうところもあった。悩みから解放された漱石がねこになって歌舞伎町に飛び出していくラストはわりあい読める趣向ではあったが、大勢の出演者と客席がともに終幕を迎えられた安堵感で、いっぱいの拍手をおくる。花園神社のテントを思えば巨大で立派な作りではあるが、やはり天候はじめさまざまなアクシデントの影響があるだろう。自分は15日の千秋楽まで、毎晩お天気が気にかかりそうだ。雨が降りませんように、しかしもし雨が降ったなら、それがその日のお客さんにも作り手にも、素敵なプレゼントをもたらすものであってほしい。

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