因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

永谷園presents『奇跡の人』

2014-10-17 | 舞台

*ウィリアム・ギブソン作 常田景子翻訳 森新太郎演出 公式サイトはこちら 天王洲/銀河劇場 19日まで 21日は大阪/梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティで上演

 森新太郎演出の舞台の記事はこちら→(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20
 アニー・サリヴァンを木南晴夏が初挑戦、ヘレン・ケラーを前回公演いつづいて高畑充希、ヘレンの両親に立川三貴、馬渕英俚可、兄ジェイムズを白石隼也、エヴァ伯母に梅沢昌代と、配役がほぼ一新されての上演である。

 天井に届くほどに高い壁が舞台を三方から囲み、いくつかのドア、窓がある。舞台奥に向かって狭まる形になっており、閉塞感というほどではないが、もの言わぬ高い壁はなかに住む人々を静かに圧迫しているようでもある。
 これまで多くの俳優が演じ、上演されつづけてきた『奇跡の人』が、新しい配役と森新太郎の演出で、どんな奇跡をみせるのか。

 終幕の井戸の場面で、ものには名前があるとわかったヘレンを、母ケイトは喜びに溢れて抱き締めるが、やがて再びサリバンに向かって歩みだした娘にうしろから抱きつく。膝をついたまま娘にとりすがるような姿勢は、「行かないで」と訴えているように見える。しかしヘレンは歩いてゆく。
 母は大きなハードルを乗り越えた娘を得た。しかしそれは同時に、もっと広い世界をもっと深く知ろうと自分の足で歩きはじめた娘を、ある意味で手ばなすこと、別れることを意味する。ケイトは自分から生まれて、アニーの教育によって再び生まれ変わった娘を与えられ、そしてもう一度失ったのだ。母は勝ち、そして敗れた。その親の悲しみを一瞬でかいま見た。

 今回の観劇で、ケイトという女性の人物像が思いのほか複雑であるために、俳優の造形にも困難が伴う印象をもった。ひたすら夫に従順な妻でもなく、ヘレンを溺愛する母ではない。表面は威厳を保とうと居丈高になり、ヘレンに対してはともすれば及び腰の夫よりも、状況を正確に把握し、何が最善かを模索する意欲を持っている。反抗的な先妻の息子ジェイムズにも賢くふるまう。聡明で強い。ケラー家のなかで、まっさきにアニーへの理解を示した人物でもあり、同時にその寛容と忍耐ゆえに、深い苦悩を背負うことにもなるのである。

 今回初役でケイトを演じた馬渕英俚可は、若く瑞々しく魅力的で、ケイトの内面を過不足なく演じてたいへん好ましかった。自分はこれまでに馬渕英俚可が出演した舞台や映像を多くみているわけではないが、このケイト役の経験は、馬渕にとって大きな転機となるのではなかろうか。

 サリバン役に初挑戦の木南晴夏は、ときおり台詞が甲高く聞こえづらいところもあるが、誇り高い北部軍人のアーサーがいかにも辟易しそうな、南部の小娘らしい鼻っ柱の強さ、相手が自分よりはるかに年長の雇い主であろうとめげない、狡猾といってもよいくらいのねばり強さを力いっぱい演じた。実際こんな女子が職場にやってきたら困るだろうが(笑)、これから彼女が出演する作品にはぜひ注目したい。

 手に触れるものすべての名前を知ろうと動きまわるヘレンに、アニーは指文字を綴る。両親をお父さん、お母さんと教えるのはわかるが、最後に自分に手を伸ばしてきたヘレンに、「アニー」ではなく、「先生」と綴ることの意味を考えた。「先生」との認識を与えるのは、ヘレンに対する立場であり、位置であり、距離を示すことでもある。
 これですべてが解決したわけではない。ヘレンはとてつもない大海へ漕ぎだした小舟である。自分は何があってもその舵をとる。「先生」と綴るのは、アニーの決意であり、矜持であろう。
 サリバンは大竹しのぶの当たり役として何度も再演されてきたが、その後田畑智子や鈴木杏など、次世代に継承されているのは喜ばしいことだ。むろん経験値、安定感の高いベテラン女優がさらなる飛躍をみせることも大切だが、むしろ『奇跡の人』は特定の俳優の当たり役をつくらず、どんどん新しい人が挑戦するにふさわしい作品ではないだろうか。

 『終の楽園』『炎 アンサンディ』で質実な演技をみせている文学座の栗田桃子。実年齢では若干無理があるかもしれないが、華奢なからだや少女の面影を残す雰囲気を活かして母のケイトや、思い切ってサリバンを演じる可能性もあるのではないか。

 『奇跡の人』の原題は、「THE MIRACLE WORKER」である。「WORKER」とは、文字通り勉強する人、働く人という意味のほかに、職人、特別な仕事をする人、研究者、運動家など、幅広い意味をもつ。見えない聞こえない話せないの三重苦を乗り越え、障害者を支援する多くの活動をおこなったヘレン・ケラーその人が「奇跡の人」であることはむろんだが、過去に盲目であった自身の障害、貧困ゆえに弟を失った深い悲しみを克服した(ほんとうはもっと深く複雑な心象があったはず)アニー・サリバンもまた、「奇跡の人」であったことがわかる。

 さらに、この作品に果敢に挑戦した翻訳家、演出家、俳優、すべてのスタッフもまた、客席に奇跡をとどけんとしたすばらしいWORKER、働き人である。これからも多くの働き人を生み、「奇跡」をみせてほしい。

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