因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

二兔社公演39『鴎外の怪談』

2014-10-15 | 舞台

 *永井愛作・演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターウェスト 26日まで その後12月11日まで全国を巡演 (1,2,3,4,5,6
 市井の人々の日常を丁寧に描きながら、過去、現在、未来の問題を浮かび上がらせる永井愛の作品のもうひとつの軸として、実在の人物を中心に据えるものがある。
 樋口一葉を主人公にした2004年上演の『書く女』が代表的なものであり、今回の『鴎外の怪談』は、それにつづく永井愛評伝劇第2弾といったところか。
 金田明夫が鴎外役で主演をつとめ、再婚した2度めの妻しげに水崎綾女、母親の峰に大方斐紗子、文人であり弁護士でもある平出修に内田朝陽、小説家の永井荷風に佐藤祐基、新米女中のスエに髙柳絢子、日本の耳鼻咽喉科学創始の功労者であり、鴎外の生涯の友であった賀古鶴所(かこつるど)に若松武史が揃った。

 いつもの永井作品では、コネタをまぶすというわけではないが、物語が進むごとに笑いがどんどん起こって客席の空気が柔らかくなるのだが、今回は笑いが少ない。笑うよりも、集中して舞台に見入ってしまい、この悩みと逡巡に満ちた鴎外に惹きつけられるためだ。
 もっとも劇団の公式ブログを読むと、筆者が観劇した同日夜の回では客席の笑いが多かったというから、日によって異なるのだろう。

 鴎外と言えば、『舞姫』、『高瀬舟』、『阿部一族』に代表される重厚な作品が思い浮かぶが、この舞台では、短編の『沈黙の塔』や『食堂』などが取り上げられており、さらに陸軍軍医総監というトップ官僚としての顔、再婚した若い妻と母親の諍いに日々心悩ませたところなども描かれている。
 さらにあの大逆事件と鴎外との関わりがどのようなものであったかは、学校の教科書や授業ではまず教わらないことだ。永井愛は、鴎外が弁護側、政府側りょうほうから意見を求められる立場であったとする研究成果をもとに、本作に取り組んだとのこと。

 明治の知識人、大文豪の鴎外がどたばたと右往左往する数ヶ月を描いた2時間30分だ。

 永井愛は井上ひさしのあとを引き継ぐ劇作家である、とは以前から言われていることである。しかし今回の『鴎外の怪談』をみると、井上ひさしの評伝劇とはちがう切り込み方で対象に近づき、観客に対してあまり押しつけがましくない筆致で、過去の人物の問題がいまのわたしたちの問題であること、両者が「地続きである」(朝日新聞インタヴューより)ことを鮮やかにみせる。歌やダンスの要素がまったくないのも潔く、見ごたえのある1本であった。

 先週みたばかりの劇団民藝『コラボレーション』公演パンフレットに、演出の渾大防一枝が引用していた一文が心に痛く思い出された。
  マルティン・ニーメラーという牧師の回顧である。「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は多少不安だったが、共産主義者ではなかったから何もしなった。つ いでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃さ れた。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた」(ミルトン・ マイヤー『彼らは自由だと思っていた』/未来社)。
 不安は抱いていても、当事者ではないという安心感から行動を起こさなかったが、自身に問題が降りかかったときにはもう遅かった。昨今のこの国の様相を考えるとき、ニーメラー牧師の悔恨は預言者のことばのごとく、こちらの背筋を寒くする。
 いや寒がっていないで、背筋を伸ばして考え、行動しなければならないのだが。

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