因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ミナモザ第13回公演『国民の生活』

2012-08-01 | 舞台

*瀬戸山美咲作・演出 公式サイトはこちら スペース雑遊 6日まで (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)
「今ここにあることと、これからのこと。資本主義と、その罪と、勇気、をめぐるショートピース」と公演チラシにあるとおり、①FX(外国為替証拠金取引)のシミュレーションに嵌ってゆく狂気「おばけの市」、②出会い系サイト?でベッドを共にした男女が、労働とその報酬のバランスと精神の安寧について話し合う「わたしの値段」、③詩を書く男と堅実な女との恋のゆくえ「この世にうたがあるかぎり」、④前段で登場した女性がはじめて原発反対デモに参加した「崖から飛び降りる」の4つを、およそ20分の短編によって連続上演する。
 四角い演技エリアを客席が三方から取り囲む作りになっており、ステージ前方と両脇には、作者の瀬戸山美咲自身の家財道具や本、CD、洋服や小物が可愛らしく配置されている。

 短編オムニバスという形式は、おそらく作者はじめての試みであろう。小さな劇場で休憩なしの2時間程度は観客にとってはつらいことも多い。その点で短いお芝居をいくつかみるのは、トータルで同じ時間になったとしても、心身ともに切り替えができるから比較的楽に観劇できるのである。いっぽうでこの芝居のもっと先を知りたい、もっと深いところまでみたいと残念に感じることもあって、なかなかむずかしいものだ。短い時間で客席をつかみ、ぎりぎりまで惹きつけておいて余韻を残して終わるには、長編とは違った作者の力量が問われることになる。

 複数の短編がゆるやかにつながりながら、最後にひとつの物語を構成する形式もあって、今回は③と④に少しその流れが感じられたが、そこに大きな意味を持たせているわけでもなさそうである。

 自分は②「わたしの値段」と④「崖から飛び降りる」が印象に残った。
 前者は金を受け取ろうとしない女の価値観に対して、男が素朴に疑問を抱き、誠実に問いかけ、ともに考えようとする対話劇である。噛み合わないやりとりが一致と共感にたどりつくかどうかが対話劇の醍醐味であるが、ふたりの価値観は平行線をたどり、あらぬ方向へ迷う。しかしそのぎくしゃくしたところに、一夜かぎりの相手に対して思いもよらない何かが自分の心にわきおこり、どうしてもそれを相手に伝えたいという気持ちがあらわれており、見ごたえがあった。作者の力量がもっとも発揮された一編であろう。
 後者は毎週デモに参加している女性と、今日はじめて恐るおそるやってきた女性が偶然となり合わせになってかわすやりとりである。ほかの3つに比べると静かな印象だ。震災から1年4カ月たち、原発事故のじゅうぶんな解明と確固たる今後の展望が示されないまま再稼働をはじめたことに抗議するデモが首相官邸周辺で毎週おこなわれている現状をベースに、気負わずニュートラルな視点で描いている。饒舌な熱演は影をひそめ、少ないことばのやりとりが効を奏し、ふたりの女性のこれからに対して明るい余韻を与えて全編を閉じる。

 作者の家財道具を劇場に持ち込んだことが劇そのものにどれだけ効果をあげていたかは正直なところ疑問である。また何人かの俳優の演技がいささか大きすぎることも気になった。しかし「今度はこう来てしまったか」と思わせるところが作者の魅力でもあり(いい意味で言っております)、これからの活動への助走として受けとめるものである。

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