因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

elePHANTMoon#7『成れの果て』

2009-05-21 | 舞台
*マキタカズオミ脚本・演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 26日まで
 劇団初見。本日が初日である。新作の場合、どんなストーリーなのかはあまり詳しく書けないのだが、公演チラシやwebサイトには、裸の女性が目隠しをされ、細く長い布に絡めとられるように縛られた絵があり、「不幸や絶望はもういらない。私は幸せがほしい」という非常に真っ当で、ある意味ベタなキャッチコピーが記されている。さらに本作のストーリーの重要な部分がしっかりと掲載されており、チラシの絵といい話の内容といい、何か大変なキワモノではないかと内心怯えながら劇場に向かったのだった。
 どこか地方の町らしい。両親が亡くなった家には、姉と間借りしている友人、叔母もときどき顔を出す。奥手の姉が結婚することになったのだが、その相手は妹にとって大変な訳ありの男性だったのである。

 姉と妹の愛憎を描いたドラマは珍しくない。『想い出に変るまで』、『週末婚』などの内館牧子作品では、性格の合わない姉妹が闘争心をむき出しにし、男を取り合ったり結婚を邪魔したりなど、果てしない闘いを繰り返す。最初はそのパターンかなと予想した。しかし姉妹だけでなく、周囲の人々がいったいどうしてこういう性格、設定の人物を置いたのかが極めて読みにくい人々ばかりなのである。間借り人の友人や叔母は一見普通だが、一癖も二癖もあって油断がならない。妹が連れて来るゲイはまだ良心的であるが、その彼氏は暴力的なとんでもない男であるし、婚約者の職場の先輩や小説家志望のその彼女も嫌な感じだ。何より妹の人物造形が、みる人にたやすく同情の気持ちを起こさせないほどねじくれている。

 姉の婚約者と妹のあいだに起こった事件を、町の人が皆知っている。誰もそこから逃れられない。「幸せになりたい」と願う姉と「あの男を幸せにさせてたまるか」と思いつつ、執着する妹の心。妹のほとんど呪いに近い怨念に絡めとられて、姉と婚約者の夢見た幸せは壊されていく。

 姉のことをずっと前から好きだったという幼なじみの告白に対し、何事にも動じず静かだった姉が狂乱して暴言を吐く。これを言ったらもうおしまいだ。というより、あなたはその化粧気のない美しい顔で、心の底ではそんなことを考えていたのか。あともう少しで得られた幸せがすり抜けていった女が辿り着く、まさに「成れの果て」である。

 過去の事件の詳細や、その後がどうであったのか、いまひとつはっきりしないところに却って引きつけられる。
 登場人物の名前や設定が、会話が始まってもなかなかわからないところも同様だ。人間の嫌な面を見せつける芝居はほかでもみてきたが、今回の『成れの果て』はその中でも群を抜いている。思いやり、配慮、良心といったものがことごとく踏みにじられていく過程に、仕事疲れも治りきらない風邪も眠気もふっとんでしまった。一瞬も気が抜けない。これほど緊張感を漲らせ、目が離せない舞台に出会ったのは久々ではないか。後味の悪さも断トツで(苦笑)、しかし自分はその重苦しい手応えを好ましく感じる。円の『初夜と蓮根』より、よほど演劇的体験をしたという実感がある。帰路の足取りはいい感じに重く、自分の表情が不機嫌なのかそうでないのかわからなくなる。もし家族が「どうしたの?」と聞けば、「いいじゃんうるさいなぁ」と八つ当たりしそうな危険な予感。こういう感覚がたまらなく好きだ(さらに苦笑)。この舞台のことを、もっと考えてもっと書きたいと思う。
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