因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

studio salt第11回公演『天気のいい日はボラを釣る』

2009-05-23 | 舞台
*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 王子小劇場 24日まで (1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9
 ソルトの舞台をみるようになって、あっというまに3年がたつ。横浜をホームグランドにしている劇団の東京初進出公演ということで、自分までも晴れがましいような気持ちに。

 川べりの公園に小屋を立てて暮らしている、いわゆるホームレスの人々と、旅行者や行政の人、支援しようとする人などが出たり入ったりする年末から大晦日までのお話である。ソルトの作品は大きく二つに分かれており、明るいコメディタッチのものと、重苦しいものの漂うシリアスなもの。順番から言うと今回は前者かな?と予想したのだが、これは明るくも重苦しくもあり、自分にとっては「ソルト第三の路線」になった。
 終始同じ公園の川べりが舞台なのだが、冒頭ののんびりした日曜の昼間から暗転したのち、それが昔の幸せな記憶か、もしかすると「こうであったら」という夢のようなものかもしれないと思わせる。暑いと感じるほど天気のいい春の日から一転、寒さが身にしみる冬となる。一杯道具で描く屋外にしては舞台美術面に少し無理があったり、登場人物の背景に踏み込みそうでなかなかわからなかったり、ストーリーも劇的な盛り上がりがあるわけでもない。

 図々しいほどの人なつこさで公園の人々の中に入って来る自転車旅行者が終盤で見せる本心や、慇懃無礼な行政側の職員、特に麻生0児が演じた派遣切りにあった青年は、何かというと人の荷物を開けてお金や食べ物をもらおうとするところや(盗む、泥棒という意識がない)、自分のことを終始「僕」と子供っぽく話すところなど、この人がどんな経緯で派遣切りにあったのか知りたいし、二役で演じた教会の牧師には、前作『中嶋正人』で見せた教誨師に比べるとはるかに胡散臭く、それゆえ興味深い。差し入れを餌に青空礼拝に参加させたり、ホームレスのシゲさん(小川がこう/劇団川崎演劇塾)にクリスマスプレゼントとして聖書を贈ったり(や、大切なのは聖書であるとわかるが、どこか非常にずれていると思う)、唐突に洗礼を受けることを勧めたり、少し心を開いて「仕事を紹介してほしい」と頼むシゲさんに、間髪入れず「期待しないで」言うところ。この牧師には何らかの葛藤があると思う。牧師の本業とホームレス支援のボランティアの両立と矛盾、今日の食事もなく、よるべのない人々に神の愛がお腹ではなく、魂を満たすものになるのか。真っ赤なセーターといい(どこにいてもすぐあの教会の牧師だとわかるように、そんな服装をしているのだろうか。それにしてもあまりに悪趣味である)、あまり説得力のない話し方といい、もっと掘り下げることができる人物だと思う。

 地味な作品だ。敢えて起伏に富んだ展開にしなかったのか、そう簡単に日常が変ることはなく、しかし少しでも暖かく、おなかを満たして生きていこうとする人々をきっちり描いた舞台だ。当日リーフレット掲載の椎名泉水の挨拶文に、「どうやら夢というモノが今の私には何もないようで」と記されている。本作に登場する人々は安易な夢を描くことに疲れ、倦んでいる。夢をもって希望を抱いて、今の生活から抜け出しましょう!と言われると、自分のこれまでの人生を否定されるような気がするのではないか。夢や希望、人生の志は誰にでも与えられるものではないのかもしれない。それは本人の責任でもあるが、どうしようもなく抗い難い運命というか、何かがあると思う。夢がなくても、ともかく今日は生きていく。さまざまな経緯があって今の状態になってしまった人々への、作者のまっすぐな視線を感じる。

 椎名泉水は「今の自分には夢がない」というが、自分にはいろいろな夢があって、ソルトがこれからどんな舞台を作るのかも夢なのだ。これまで以上に魅力的な作品に出会えるように夢見る希望を、自分はソルトの舞台から与えられている。そのことを記したくて、少々長過ぎる本稿を記した。
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