因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

NHKハイビジョン特集「全身“役者魂” 大滝秀治~84歳 執念の舞台」

2020-04-13 | 舞台番外編

 「全身“役者魂” 大滝秀治~84歳 執念の舞台」は、俳優の大滝秀治が、別役実の新作『らくだ』に主演することになり、2009年夏に始まった稽古から秋の公演初日までを取材したNHKのドキュメンタリー番組である。2010年1月23日に放送された。今回視聴したのは、2012年10月2日に亡くなった大滝の追悼として、同年10月23日に再放送されたものの録画である。

 大滝秀治は1925年東京・根津の生まれ。旧制中学卒業後、電話局に勤めたが、敗戦後帝国劇場で観た芝居をきっかけに俳優の道へ進んだ。声質が災いして長く不遇が続くも、1970年の劇団民藝公演、木下順二作『審判―神と人とのあいだ・1』の日本側主席弁護人役で紀伊國屋演劇賞を受賞した。45歳のときである。演出の宇野重吉の猛特訓を受けた大滝は、終演後宇野から渡された労いと感謝のメモをずっと宝物にしてきたという。以来数多くの舞台に出演し、劇団の代表をつとめるなど民藝の看板俳優として活躍した。51歳のとき、倉本聰脚本のテレビドラマ「うちのホンカン」に主演し、全国区の顔となってからは、映像での活躍のほうがよく知られている。

 番組は、芝居のリアリティにこだわってきた大滝が、別役実作品『らくだ』に苦闘するすがたを容赦なく見せてゆく。これまで演じてきた作品との違いに困惑、混乱する様相はすさまじいほどだ。いわく「どうしても台詞が入ってこない。その台詞に対応する必然性がないと、台詞が出てこない。なぜこの人物が登場するのか、なんでそこから、いつ入ってきたなどということばかり、根掘り葉掘り60年もやってきた」。そして「別役ドラマってのは何だ?そういうことは考えないんですか、それが不条理ですか?」ベテラン俳優の質問に演出家(山下悟)も説明の糸口がなく、稽古場を訪問した別役実の説明にも、大滝は「全く理解ができないでいました」(ナレーション)とのこと。劇団民藝では93年、別役作品『その人ではありません』と『足のある死体』が演劇集団円の俳優三谷昇の演出で上演されている。さらに2005年に三谷昇を客演に招いた『山猫理髪店』には大滝も出演しており、まったく畑ちがいのジャンルへの初体験ではなく、以前はどのようであったのかも知りたいところだが、番組では触れられていない。

 番組のナレーション(語り・和久井映見)による不条理演劇の定義というのが、「リアリズム演劇とは全く違い、明確なストーリーやドラマがない」。今回の『らくだ』についても「あるのは舞台中央に電信柱のみ。時代や場所の設定も不明で、死体と会話するなど実にナンセンス」、「とりとめのない会話、無意味な行動で進行する」…と紹介していることに、非常に困惑しながらの視聴となった。

 大滝秀治の演技の作り込みがいかに徹底しているかというと、「うちのホンカン」撮影の折、実際の警官のもとに通うだけでなく、ロケ地の駐在といっしょに事故の現場検証に行ってしまったり、寝たきり老人役を演じたあるドラマでは、まだスタッフが準備をしているのに布団周りの小道具一つひとつ手に取って確認したり(確かこの話は共演の阿部寛のインタヴューで聴いた記憶がある)、まさに全身全霊でリアリティを追求していることがわかる。

 『らくだ』は落語の原作がベースになっており、文学座や演劇集団円、木山事務所などに別役が書き下ろした作品とは少々色合いが異なるものではある。市井の人々の匂ってくるような生活実感もあり、不条理演劇というより、「風変わりな時代劇」であろうか。

 大滝は後輩の和田啓作と連日朝稽古を行い、ふたりが酒を酌み交わす場面でのとっくりの傾け方、その角度まで徹底追求する。なみなみと酒を注がれた湯呑を口に運ぶ、逆に口のほうと湯呑に近づけるなど、ため息がでるほどの巧さ、いや技巧を超えて自然なしぐさである。惚れぼれするほどだ。もともとからだが弱かった大滝は、齢八十を越えてからだじゅう湿布やサポーターが欠かせず、まさに満身創痍での奮闘だ。

 わたしが大滝秀治の舞台を観たのは、1997年の『巨匠』(内山鶉演出)ただ1本きりである。記憶に残るのは映画やドラマであり、大滝のものまねを得意とした関根勤と共演したコント、岸部一徳と共演したキンチョールのCMである。リアリティの追求を突き抜けて、自由に伸び伸びと楽しんでおられるようなところがある。テレビの向こうの視聴者を笑わせよう、受けようなどという自意識は見えてこない。「つまらん!おまえの話はつまらん!」のキンチョールのCMは、迫真が転じて、想定外のユーモアを生んだ傑作である。別役劇へのアプローチに、この感覚を取り込むことは難しかったのであろうか。

 演劇のリアリティとは何か。このとてつもない問いが否応なく炙り出されてくる。問いは大きく深く、いまだ答が見つからないのである。

 初日を終えて「今いちばんやりたいことは?」と聞かれた大滝は「休みたいです」と即答するも、「お休みが終わったらやっぱり芝居をやりたいか」と水を向けられると、「そりゃあそうですよ、そりゃあそうですよ、あなた!」と、そのまま何かのCMになりそうな素晴らしい表情と声で答えた。台詞を忘れるかもしれない恐怖や体調との闘いは苦悩の連続だが、芝居が好きでたまらぬ。そんな大滝がいかに多くの人に愛されてきたかを改めて実感した。

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