*井伏鱒二原作 吉永仁郎脚本 高橋清祐演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 30日まで (1,2,3,4,5,6,7,8)
昭和のはじめ、東京・荻窪の安アパート富士荘のあるじが亡くなった。アパートは借金のために担保に入っている。ここに住み続けたい住人たちは一計を案じる。「部屋代を踏み倒して夜逃げした店子たちから滞納金を取り立て、借金を返済しよう」。不運にも集金人の役目を引き受けたのが、自称売れない小説家・十番さんことヤブセマスオ(西川明)。そこに昔の不実な男たちから慰謝料を取りたてようと七番さんことコマツランコ(樫山文枝)が同行を申し出てた。作者ゆかりの荻窪から西日本地方へ、男女ふたりによる部屋代と慰謝料の集金の旅がはじまる。
原作を読んだとき、ロードムービーだなとごく単純に思った。ひょんなことからいっしょに旅をすることになった男女の珍道中。行く先ざきでいろいろな人と出会い、泣いたり笑ったりの人情喜劇だ。大変失礼な言い方になるが、「どうということはない話だな」というのが、読了直後の感想であった。小説の舞台化、それもあちこち移動する構造の作品を取り上げるのはなぜだろう。 映像ならまだしも、舞台にすると場面転換や暗転が多くなるであろうし、大道具や小道具もたいへんだ。物語すべてを人物の台詞にすることもむずかしそうで、もしかするとナレーションが入るのかもしれない。
果たして舞台化された『集金旅行』はそのとおりであった。荻窪から錦帯橋のみえる岩国の宿、そこから福岡の小さな村へ、また引き返して福山、尾道、そして荻窪へもどる。そのたびに舞台は暗転して装置の転換が行われる。手早く行うためにさまざまな工夫が凝らされているのだろうし、実際滞りなく舞台は進行する。たびたび動かすのであるからどっしりした重量感のある装置ではない。宿の襖がよろよろしていたり、どうにも取ってつけたような印象は否めない。
前半は「やっぱりなあ」の気持ちがあったためかなかなか集中できなかった。しかし不思議なことに、このような流れにいつのまにか慣れてくるのだ。映像のようなリアリティを求めず、「次はどこでどんなことが?」と楽しくなってくる。
自分は下宿屋のおかみさんが駆け落ちした福岡へ訪ねてゆくあたりで、舞台のリズムにからだがなじんできた。貧乏ぐらしを受け入れている河野しずかの清々しい姿に惚れぼれしてしまったせいだろう。この場面でヤブセが「集金の極意」なるものを語るのもおもしろい。なるほど、あれこれ苦労の果てに回収すればこその集金であり、よくわからないお金を易々と手に入れてしまうのは居心地が悪いのだろう。
言い方はよくないが、落ち着きのない話である。主軸のヤブセとランコにしても出たり入ったりが多く、旅先の人々はなおのこと出番はわずかで、そこでくっきりとした人物像をみせねばならない。
たとえば宿の女中である。岩国では町の情報源のような女中さんに箕浦康子、福岡では「ふっくらと・・・ひとかどの風格が」と語られる女中に有安多佳子が扮し、「ほんとうだなぁ」と感嘆するような風情であった。
小説の夢をあきらめきれず、母親の葬儀中に憧れの小説家ヤブセが来訪したことに狂喜乱舞する地主を演じた吉岡扶敏、ランコとお見合いをする産婦人科医の竹内照夫、いずれも登場したとたんに、「おお、この人か!」と待ちうけていたように客席が湧く。
ヤブセが荻窪にもどってきた終幕、最初の場に登場した太宰治役の塩田泰久が窓の向こうを横切っただけで、「ああ、やって来たぞ」とばかり、客席に微妙な笑いがひろがる。
短い出番で作品が求める役を的確に示すこと、といって場を独占して雰囲気を変えることなく、自然に消えて次の場につなぐ。与えられた役の背景や過去までを想像し、じっくりと造形するタイプの作品ではなく、かといって表面的な演技にならないように、舞台に自然に存在する。俳優としてむずかしいことではないだろうか。
旅先の出会いは儚い。おそらくこの1回限りであり、再び会うことはない。そういう小さな出会いや、すぐに忘れてしまうできごとが人生には数限りなくある。本作には深い交わりをもたず、名前すら知らずにすぐに消えてしまうもの、通り過ぎるものに対する作者の温かなまなざしがあって、舞台をみているうちに客席もそのまなざしに同化してゆくのだろうか、初日の客席は、とくに後半になるにしたがって笑いが増え、非常に気持ちよく楽しいものであった。
『真夜中の太陽』のように、若手を中心にした爽やかな舞台もあれば、今夜のように軽みがあって、ほっとできる舞台もあり、そして木下順二の『夏・南方のローマンス』がどっしりとある。
舞台『集金旅行』は小説の舞台化に対するひとつの可能性の提示であり(思いきって舞台装置をほとんど置かないつくりも可能ではないか)、俳優の挑戦の場、劇団の演目をひろげる役割もある。「どうということはない話」など、大変失礼なことであった。
これから千秋楽まで、客席から思いもよらない反応があることも予想され、まだまだ化けつづける可能性を秘めた作品だ。
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