*ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』原作 井伏鱒二翻訳 倉迫康史台本・演出 公式サイトはこちら あうるすぽっと 16日で終了
うかうかしているうちに売切日続出だ。「子どもに見せたい舞台」シリーズ、大人気のようである。とくに本作は前回の2009年にしすがも創造舎での舞台が好評を博し、池袋のあうるすぽっとに劇場を移しての再演とあって、会場には親子連れがつぎつぎに訪れ、カラフルな舞台衣装に身を包んだ俳優が、みずうみのさかなつりゲームなどで子どもたちと遊んだり、大変なにぎわいだ。整理番号順の入場で全席自由席にするには、あうるすぽっとは少し大きいのではと心配だったが、スタッフさんたちは家族連れが並んで座れるように、ママを見失ったおちびさんたちのお世話まで実にきびきびと、ホスピタリティあふれる案内をなさっていてお見事でありました。
開演前に劇中で歌う歌の練習や、やはりお芝居の重要な場面で使うらしい白黒の小旗を振る練習もして、ウォーミングアップもぬかりない。みんなにお芝居を楽しんでもらいたい。手づくりの温かさ、きめ細やかな配慮が伝わってくる。
イギリスの小さな町、パドルビーに住む靴屋のせがれトミーは、動物語を話せるドリトル先生に出会う。船に乗って遠くの国へ旅に出ようとするが、水夫がいない。世捨て人のルカが適任だが、彼は15年前に関わった事件のために裁判を受けることになった。真実を知るのは犬のジップだけ。しかし犬が証言台に立てるだろうか。ドリトル先生とトミー少年はルカを救い出そうと一計を案じる。
本公演にはゼロ歳児から入場できる。これは「この舞台はゼロ歳児でも理解できる」ということではなくて、「どんな小さい子どもでも楽しんでもらえるものを作ろう」という心意気と、「赤ちゃんを抱っこしたままでも楽しんでいただけますよ、だから安心してみにきて」という、観劇を迷う子育て中の親御さんへの優しさであろう。1時間40分、客席は大人も子どもも集中し、楽しんでいた印象だ。終演後は役に扮したままで俳優さんがお見送り。いっしょに写真をとりたいという子どもたちが多く、とても嬉しそうだった。
せっかく本番前に練習した「すいふのうた」は、予想よりはるかに早い場面で歌われはじめ、「ここで歌うのかな、あとでもういっかい歌うのかも」と迷っているうちに終わってしまった。もう少し客席が温まってからのほうがよかった。
翻訳があの井伏鱒二だったのだが、ドリトル先生の台詞だけが「わしはそう思うんじゃよ」といった中国地方の老人風のことばで、いささかそぐわない印象である。演じる俳優さんはすがたも声も若々しいのでよけいに違和感をもった。
本作のウリは舞台での生演奏だ。しかしときおり台詞が聞き取れないほどの音量になったり、トランペットの音色に辛いものがあったりしたところが残念であった。
子どもと大人がいっしょにみた舞台で忘れられないのは、1986年暮れに西新宿のステージ円で上演された『赤ずきんちゃんの森の狼たちのクリスマス』(別役実作 小森美巳演出)である。老優中村伸郎はじめ、南美江、三谷昇が共演し、新劇界の大御所が顔をそろえる配役だ。しかしどこかとぼけたような味わい、肩の力が抜けた清々しさがあって実に楽しかった。カーテンコールで舞台の俳優さんたちと子どもたちが自然に握手する流れになったのも素敵な光景である。
タイプは違うが、山崎清介が手がける「子どものためのシェイクスピア」シリーズは、大人がみても力強い手ごたえがあって、何度でも通いたい舞台である。
いずれも子どもに対して最大限に配慮するが、それは決して子どもだましや手加減ではない。むしろ舞台人としていつにも増してよりいっそう厳しい姿勢で臨んでいることがびしびしと伝わってくる舞台である。
一つ話のように思い出すのが、ある講演会で別役実が話していたことだ。
「大人と子どもがいっしょにみる舞台のとき、大人と子どもの笑いには時間差がある。客席前方で子どもたちが笑っているのをみて、うしろの席の親御さんたちが『うちの子が笑っているわ』と嬉しそうに笑う」というのだ。
ファミリータイプのお芝居に限ったことではなく、舞台をみて笑っている人をみて、こちらまで幸せな気持ちになるのはまさに演劇のもたらす至福であり、それが見知らぬ誰かであっても関係なく、舞台と客席と、りょうほうから花束をもらったように嬉しいのである。
今回の『ドリトル先生~』の舞台は楽しいものであった。しかしもっと高いところ、違うものになる可能性を秘めていると思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます