因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

演劇集団円 『景清』

2016-11-22 | 舞台

*近松門左衛門原作 フジノサツコ作 森新太郎演出 公式サイトはこちら 吉祥寺シアター 27日まで 
 公演チラシには、「近松門左衛門の浄瑠璃台本『出世景清』を原典に、幸若舞、能や歌舞伎、各地に伝わる伝説などから想を得て、平景清(たいらのかげきよ)を中心に戦乱の世に振り回された人間たちの哀れを描きます」と重々しく。タイトルロールを演じる橋爪功は75歳の現在、ドラマや映画でもなくてはならない俳優であり、演出は今や「円の演出家」のくくりでは到底語れぬほど幅広く活躍している森新太郎。このふたりがホームグラウンドで5年ぶりにタッグを組む。
…と書くとチラシの惹句のごとく重々しいが、橋爪と森のふたりには得も言われぬ軽やかさがある。それは橋爪が身にまとう飄々とした雰囲気や、あまり深刻にならず役柄を楽しんでいるかのように見える演技ゆえ。森には、どれほど重厚で手ごわい戯曲であろうと、こちらが想像もしない斬新な舞台美術やこしらえを編み出し、しかしそのなかに、戯曲の本質をまちがいなく提示する安定感ゆえであろう。チケットは全日程完売!

 物語は盲目となり老いさらばえた景清(橋爪)のもとに、自分が生まれたいきさつ、父の人生を知りたいと娘(高橋理恵子)が訪ねてくる場面にはじまる。

 本作の大きな特徴は、景清とその娘以外の人物は、すべて人形が演じる点である。人形は人間と同じくらいの大きさで、和紙と布で作られているように見える(西原梨絵人形デザイン、衣装)。役によっては横向きにしなければステージの出入りができないほど巨大なものもあり、俳優はそれを楯のように前面に構え、動かしながら台詞を発する。男性、女性ともに白いドレス状の衣装をまとい、ときには人形のうしろから顔を出したり、小道具を使う際は手も出す。景清の妻小野姫が、夫の行く手を聞き出そうとする敵方から拷問される場では、人形は天井から吊るされ、俳優(戎哲史)は舞台前面に額づき、痛みに耐えて夫を守り抜く小野姫を素顔を晒して演じる。また景清とのあいだに子を成した遊女の阿古屋を演じるのは、石住昭彦である。声を変えるでもなく、むくつけき男の素顔のままで、嫉妬のために夫の居場所を明かし、ふたりの子どもたちもろとも自害して果てる場面を壮絶に演じた。平幹二朗の『メディア』を想起させ、圧巻であった。

 人形を操作しながらの演技と言えば、江戸糸あやつり人形劇団の結城座が思い浮かぶが、橋爪の景清が終始顔とからだを晒しているなかで、表情のない人形がわさわさと動くさまには不気味な威圧感があり、その一方でどこか抜け殻のような頼りなさや非現実感もあり、中心にいる景清の息づかいが伝わる効果を上げている。

 出生のいきさつを知った景清の娘は、盲目の父を抱きしめ、自分の人生を語りはじめ、その娘もまたすでにこの世の人ではないと知ったとき、いまだ世界中で戦乱が絶えぬこと、意味もなく一方的に人生を断ち切られた無数の人々の呻きや嘆きが語られているかのようであった。

 ずっとモナカ興業の舞台を楽しんできた自分にとって(1,2,3,4,5,6,7,8)、ここ数年における『橋爪功・夏の夜の怪談』や、新国立劇場公演『東海道四谷怪談』など、日本の古典を読み解いて新しい物語を作り出すフジノサツコの活動は意外な印象があり(いずれも未見)、今回もはじめのうちは戸惑いがあったが、橋爪功の牽引力、高橋理恵子の地味ながら手堅い演技に引き込まれた。テレビや映画で見る機会の多い俳優だからこそ、俳優業の基盤となっている舞台をしっかりと見ておきたい。

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