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何とも気恥ずかしいベタなサブタイトルであります(苦笑)。2度めの剣術修行で、龍馬は千葉定吉から千葉道場の目録を与えられる。これは免許階伝ということだろうか、大変な名誉らしい。佐那(貫地谷しほり)の思いは遂げられず、しかし剣士佐那は気丈に見送る。土佐にもどった龍馬は「自分が道場を開いたら夫婦(めおと)になってほしい」と加尾(広末涼子)に告げる。長い間の思いがかなって加尾は嬉し泣き。ところが。
将来を誓い合った若い男女が「土佐の尊王攘夷のため」と別れを余儀なくされるさまは、あまりに痛ましい。京都に隠密を送ろうという武市半平太の発想も勇み足であるし、一生下士の身分である自分たちでも役に立てることを知ってほしいと、妹に下士の将来を託そうとする兄(宮迫博之)の気持ちもわかるが、話の進め方が乱暴だ。どうしても断るなら兄は切腹すると妹に迫る。断ることなどできないではないか。今回の挿話がどの程度まで史実にそったものであるかはわからないが、上士たちがことごとく横暴で底意地がわるく、下士に対してあまりに理不尽な言動をとるという描き方にやや閉口する。
今日は乙女(寺島しのぶ)のことを少し書きたい。
冒頭のタイトルバックで乙女の名字が変わっており、「あら」と思った。龍馬がいないあいだに嫁いでいたのである。
帰郷した龍馬が家族に千葉道場の目録を披露し、「ねえやんもみてつかあさい」と声をかけると、乙女は部屋の向こうで煙草をのんでいる夫をみやりながら、「でも旦那さまを差し置いて・・・」とことばを濁す。長兄(杉本哲太)があわてて声をかけるとやってきたのは何と温水洋一ではないか!温水洋一といえば、気弱で心優しく、女性はからきしだめというイメージがあるが、自分は剣術のことはわからないといいつつ、龍馬をねぎらい、称賛する口調に嫌みはなく、乙女の「お仁王さまぶり」をずっと前から知っていたと言うところなど、なかなか堂々とした旦那さまである。また前述の「旦那さまを差し置いて」といういうところの乙女が非常に可愛らしかった。男まさりで気の強い乙女であるが、ちゃんと夫をたてる慎ましさを備えているのだ。
風呂に入っている龍馬に、乙女はそとで火をくべてやる。その場面で乙女はさらりと「おまんはほんとうに好きな人と一緒になりなさい」と言う。考えてみれば乙女は武市さんが好きだったはず。そういう台詞はまったくないが、武市さんが坂本家を訪ねてきたときの上気した表情をひとめみればわかる。正直な人なのだ。しかし武市さんはすでに妻帯しており、乙女には最初から諦めた恋だったのかもしれない。武市の妻富(奥貫薫)への嫉妬や羨望もないわけではなかったろうし、岡上樹庵を好きで一緒になったのではないこともわかる。しかしそれも諦念し、覚悟を決めているのだ思う。あの時代多くの女がそうだったように。
好きな人と一緒になれない悲しみはいかばかりかと思う。千葉佐那しかり、平井加尾しかり。先日みた文学座公演『女の一生』のヒロインも好きな人とは結ばれない。しかし互いに「この人しかいない」と思い決めてもその幸せがずっと続く保証はなく、反対にそれほど熱い気持ちはないが、うまくやっていける結婚もある。古今東西、正解もマニュアルもない。
なかなかお似合いのご夫婦とお見受けしたが、ネットで調べてみると、乙女の結婚生活はその後あまり順調ではなかったらしい。いやはや。今夜は温水洋一が地味に新境地をみせたことを収穫としましょう。
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