*ヘンリック・イプセン作 矢野靖人構成・演出 公式サイトはこちら アトリエセンティオ 25日で終了
小雨の降り続く日曜、商店街はシャッターを降ろした店が多い。池袋からたった一駅なのに、この静けさは何だろう。でも静かな雨の日曜もいいものだ。上演時間は初演の1時間30分から60分になり、キャストも構成も大幅に変更したものだという。開場とほぼ同じくして雨が上がり、よい気分で劇場に入ると、薄暗い舞台には二人の俳優が既に板付きになっている。ここは昨年と同じ。だが場内には踊り出したくなるような陽気な音楽が流れていて、これはどうだったかしら。およそ本作の雰囲気とは違うのだが、普通のピアノとは違った音色の楽器が奏でる音楽は石像のように動かない舞台の二人に対しても違和感なく、実に不思議。
冒頭、「パパは大したものだよ」とリタ役の川渕優子がエイヨルフの人形を高く掲げて叫んだものだから驚いた。リタが無邪気に話すエイヨルフの台詞と入り交じりながら、アルメルス役のナギケイスケがト書きを語る。映像なら、可愛いエイヨルフのアップにト書きが字幕でかぶるような感じだろうか。ナギケイスケは並外れた身体能力をもったダンスの名手であるが、今回は松葉杖にすがって椅子に座り、上演時間のほぼ9割そのままの姿勢である。妻の執拗な求愛と息子への愛情、仕事への執着などに縛られて身動きできなくなっている夫の象徴か。
今回アスタ役に演劇集団円の山根舞が加わった。目の動きはじめ表情が豊かで、それが意図したものかどうかまではわからなかったが、ほかの人物と微妙に温度差が感じられた。アスタに求婚するボルグハイムは、今回テンションの高い、少々お調子者風に造形されており、この人物を作品の中でどういう位置に置くかは難しいものだと思う。心惹かれたのは成長したエイヨルフを想起させる男3(櫻井晋)の存在である。台詞はひとこともなく、足音さえ聞こえないほど静かに現れて、しばらく舞台に身を置いて去って行く。登場がどの場面であったか明確に思い出せないのだが、両親の愛を充分受け取れないまま水底に沈んでしまった少年の悲しく美しい佇まいがあって、彼の姿がアルメルスとリタ夫婦にとって、生涯消えることのない我が子を象徴するものと思われる。
ほとんど別れる話をしていたのに、リタが「村の子供たちの面倒をみる」と決意し、猛反対した(もっともだ)アルメルスが「自分も手伝いたい」と同意するくだりは、何度みても納得のいく流れではない。うまくやれるのだろうか、この二人は。アスタとボルグハイムの旅立ちも、少々無理が感じられる。どうなるのだろうか、この人々は。あれこれ想像したがやがて思い直した。過ちや恥や後悔を積み重ねながら人は生きていくしかない。それでよいのではないか。
終演後、晴れ晴れと帰路に着く。不思議だ。どろどろした、あまり納得のいかない結末の話なのに、なぜこんなに晴れやかな気持ちになるのだろう。リタが最後の台詞「ありがとう」と言って、舞台上手奥の椅子のほうへ振り返る。さっきまで男3がいた場所だ。最後の最後のわずかな動きが心に残る。
小雨の降り続く日曜、商店街はシャッターを降ろした店が多い。池袋からたった一駅なのに、この静けさは何だろう。でも静かな雨の日曜もいいものだ。上演時間は初演の1時間30分から60分になり、キャストも構成も大幅に変更したものだという。開場とほぼ同じくして雨が上がり、よい気分で劇場に入ると、薄暗い舞台には二人の俳優が既に板付きになっている。ここは昨年と同じ。だが場内には踊り出したくなるような陽気な音楽が流れていて、これはどうだったかしら。およそ本作の雰囲気とは違うのだが、普通のピアノとは違った音色の楽器が奏でる音楽は石像のように動かない舞台の二人に対しても違和感なく、実に不思議。
冒頭、「パパは大したものだよ」とリタ役の川渕優子がエイヨルフの人形を高く掲げて叫んだものだから驚いた。リタが無邪気に話すエイヨルフの台詞と入り交じりながら、アルメルス役のナギケイスケがト書きを語る。映像なら、可愛いエイヨルフのアップにト書きが字幕でかぶるような感じだろうか。ナギケイスケは並外れた身体能力をもったダンスの名手であるが、今回は松葉杖にすがって椅子に座り、上演時間のほぼ9割そのままの姿勢である。妻の執拗な求愛と息子への愛情、仕事への執着などに縛られて身動きできなくなっている夫の象徴か。
今回アスタ役に演劇集団円の山根舞が加わった。目の動きはじめ表情が豊かで、それが意図したものかどうかまではわからなかったが、ほかの人物と微妙に温度差が感じられた。アスタに求婚するボルグハイムは、今回テンションの高い、少々お調子者風に造形されており、この人物を作品の中でどういう位置に置くかは難しいものだと思う。心惹かれたのは成長したエイヨルフを想起させる男3(櫻井晋)の存在である。台詞はひとこともなく、足音さえ聞こえないほど静かに現れて、しばらく舞台に身を置いて去って行く。登場がどの場面であったか明確に思い出せないのだが、両親の愛を充分受け取れないまま水底に沈んでしまった少年の悲しく美しい佇まいがあって、彼の姿がアルメルスとリタ夫婦にとって、生涯消えることのない我が子を象徴するものと思われる。
ほとんど別れる話をしていたのに、リタが「村の子供たちの面倒をみる」と決意し、猛反対した(もっともだ)アルメルスが「自分も手伝いたい」と同意するくだりは、何度みても納得のいく流れではない。うまくやれるのだろうか、この二人は。アスタとボルグハイムの旅立ちも、少々無理が感じられる。どうなるのだろうか、この人々は。あれこれ想像したがやがて思い直した。過ちや恥や後悔を積み重ねながら人は生きていくしかない。それでよいのではないか。
終演後、晴れ晴れと帰路に着く。不思議だ。どろどろした、あまり納得のいかない結末の話なのに、なぜこんなに晴れやかな気持ちになるのだろう。リタが最後の台詞「ありがとう」と言って、舞台上手奥の椅子のほうへ振り返る。さっきまで男3がいた場所だ。最後の最後のわずかな動きが心に残る。
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