因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団劇作家「劇読み!vol.6」より『花と爆弾』

2016-05-19 | 舞台

*大森匂子(わこ)作 森さゆ里(文学座)演出 公式サイトはこちら (1,2,3,4,5,6,7,8) スペース雑遊 11日で終了
 劇作家だけで構成されたカンパニーが、結成から10周年を迎えた。代表の篠原久美子は旗揚げ当初から、「合評は他者を尊敬して行い、程よい嫉妬を持ちつつ、仲間の成功のために尽くし合える集団でありたい」と内外に話していたとのこと(公演チラシ挨拶文より)。この「劇読み!」シリーズに足を運ぶたびに、演劇、戯曲、演出、俳優、そして観客とは何かという基本的なことを改めて考えることができる。大森の前回上演作品の『みすゞかる』は、ほんとうに清々しい佳品であった。今回は大逆事件で刑死した菅野スガ(西山水木)を軸に、その妹(藤田直美)や幸徳秋水(藤井びん)、荒畑寒村(小山貴志)、新村忠雄(上原和幸)などが登場する。タイトルの「花」は、スガがとても花が好きであったらしいこと、「爆弾」は天皇暗殺のために宮下太吉らが製造した爆弾を指す。

 舞台天井から椅子が吊り下げられている。ぜんぶで9つだ。俳優は演技エリア奥と、手前の通路から出入りをし、時おり椅子を床に降ろして腰かけたりしながら台本を読む。
 大森作品の特徴はト書きがまったくないことだ。上演台本には「1、明治四十二年 夏のおわり 平民社」とあり、すぐに岡田百代(内海詩野)の語りにはじまる。百代がやってきたのがどこか、その家の様子、あるいは百代の服装や表情、どんな娘なのかということは一切書かれていない。第1場だけでなく、最後までその形式なのである。リーディング本番ではそういったことがまったく気にならず、すぐに劇世界に引き込まれた。リーディングでここまでの見ごたえがあるのだから、本式の上演になったらどれほどの舞台になるのだろうか。

 しばしば「饒舌なト書き」に出会うことがある。場所の説明、そこにいる人物の様子、その人の事情や心象など、これらが本番では読まれないことがもったいないと嘆息するほど、たくさんの情報や劇作家の思いが詰め込まれている。それはそれで戯曲を読む楽しみではあるが、大森は基本的に「ト書きは読まれない」ことを念頭に台詞へ注力しているかのようである。台詞がすべてと言ってもよいくらい書き込んであり、言い換えると、通常の戯曲ならト書きで示されるところまでも、登場人物の台詞になっているということだろうか。にも関わらず説明台詞になっていない。
 しかし一方で、台本を持たずに、本式に動きながら俳優が発する場合、どのようになるのだろうかと疑問に思うところもある。たとえば、物語後半の幸徳秋水と百代のラブシーンでは、百代の台詞で「口をふさがれました」とある。動作としては、秋水役の俳優が、自分の台本を百代の顔の前に置くことでそれと示される。しかし実際の上演で、「口をふさがれました」という台詞を活かすには、百代と秋水は、どう動くのが適切なのだろうか。

 自分はもしかすると、さまざまなリーディング公演を見るうち、必要以上に「ト書きの扱い」が気になるようになってしまったのかもしれない。

 スガが闘ったのは、時の権力だけではない。まだ少女のころ自分を疎ましく思う継母の策略で自尊心もからだも傷つけられたこと、嫁ぎ先の姑の仕打ち、さらに同じ主義主張を持ちながら、女を軽んじる同志たち(幸徳秋水の行状には驚いた)に、自分の身ひとつで立ち向かっていったことが伝わる力強い舞台であった。
 ぜひ本作を本式の上演で見たい!との思いが高まったとき、折込のなかに大森匂子主宰の劇団「匂組」(わぐみ)の公演チラシを見つけた。伝説の喜劇女優清川虹子が主人公の『虹の刺青』という作品で、劇中にはあの唐十郎も登場するらしい。9月8日~11日@アートスペースサンライズホール。匂組や、この作品で参加が決まっている池袋演劇祭のサイトにはまだ情報がアップされていないが、これはもう見ないわけにはゆくまい。

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