*永山智行(こふく劇場)作 中嶋さと演出 公式サイトはこちら SENTAL!2012参加作品 アトリエセンティオ 24日で終了
劇団名は「フォーティーン・プラス」と読み、2010年5月、第4回福岡演劇フェスティバルにおける『14+』のドラマドクターを宮沢章夫に依頼し、その千秋楽で劇団名をそれまでの「爆走蝸牛」から「14+」に改名したとのことだ。今回は福岡の西鉄ホールを皮切りに、宮崎の三股町立文化会館を経て東京にいたる、劇団初のツアー公演を敢行した。
公演チラシにあらすじが掲載されている。「遠い町で、姉は死んだ/そして、その土地の土に深く埋葬された/やがて弟はある日、埋められた姉の骨を探しに旅に出る/その土地を目指して/そんな弟をじっと見つめる姉が、いた」。
続いて「生者を見つめる、死者の視点。それはたとえば、俳優を見つめる、演出家の視点。これは『姉』という『演出家』を通して、わたしたちが、今、『生きている』ということ『見つめる』ための、ドキュメンタリー演劇である」と書き添えられている。
このふたつを観劇前に読んだのかどうか、実は記憶がはっきりしない。明確な意識をもって読んだのは終演後であった。というのは舞台をみているあいだじゅう困惑しきりで、舞台を楽しむ余裕にいたらなかったためである。あらためて読み直してみると、チラシに掲載のあらすじ、もうひとつの文章ともに実際の舞台の様相にぴたりとあてはまる。これをあらかじめ意識して読み、しっかりと頭に入れていたなら、舞台に対してもっと入り込めたのではないか。
しかし思い直す。あまり事前情報や先入観なしに舞台に臨み、その場で得た感触から考えることをスタートさせたほうがよいのかとも。とくに「ドキュメンタリー演劇」ということばについては、まちがいなく昨秋の『ホットパーティクル』(ミナモザ公演 瀬戸山美咲作・演出)の影響であろう、聞いた瞬間に気構えてしまうのである。
作り手の視点がどこにあるのか、どこへ着地させようとしているのか(これはストーリーが読めるということではない)がくっきりと伝わってくる場合、みる側はわりあい楽である。そうでない作品の場合、観客は少なからず困惑し、迷走することになる。しかしその右往左往がいつのまにか客席にいる自分の自然な呼吸になることもある。最後に劇世界の着地点に到達できたときの喜びは格別だ。さらに、ごく稀だが着地点に確信がもてずに放り出されたとき、虚しさのために考えることを放棄することもあれば、そこから何かを考える糸口をみつけようと心が動きだすこともあるのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます