*秋元松代(Wikipedia)作 いのうえひでのり演出 公式サイトはこちら 新国立劇場中劇場 2月18日まで
本作の初演(1979年)から今日までの経緯は、公演パンフレット扉のページに詳しい。蜷川幸雄演出作品としての書き下ろしであり、「近松の心中物を新しい観点から劇化したい」という東宝の依頼を受け、まずは秋元自身が最も好きだという『冥途の飛脚』を選び、遊女梅川と商家の養子忠兵衛の悲恋を縦糸とした。さらに『緋縮緬卯月の紅葉』とその続編『卯月の潤色(いろあげ)』に登場する大店の箱入り娘のお亀と婿養子の与兵衛を横糸にし、二組の対照的な男女の心中劇に仕立てた。元禄大坂の群衆が織りなす色と欲にまみれた俗世は赤と黒、男女の死の道行きは、人間のすべてを浄化するかのような雪景色の白。
80年代はじめに平幹二朗と太地喜和子が共演した帝劇の舞台を見たきりだが、『近松心中物語』と言えば、秋元松代というよりも蜷川幸雄の舞台のイメージが強烈であり、降り注ぐ大量の紙吹雪に哀切極まる森進一の演歌がどうしても思い浮かぶ。
忠兵衛(堤真一)、与兵衛(池田成志)ともに商家の養子である。忠兵衛の実家は農家であり、長男でなければ養子に出されることを子どものころから薄々察していたであろう。与兵衛はお亀といとこ同士ではあるものの、義理の両親や妻への気兼ねは並大抵のものではないはず。ふたりとも大の男でありながら、店は完全に自分のものではなく、心から安らげる場所を持たない日常が想像される。そして養子は稼ぐこと、つまり商売の実績を期待されるのである。そして梅川は廓でも格付けの極めて低い「見世女郎」、「端(はした)女郎」である。実際のところは宮沢りえのような美女ではなかったかもしれない。今を時めく美男美女俳優が共演してはいるものの、あまり一目を引くことのない地味な男女なればこそ、まるで天の配剤のごとくに巡り合い、恋に落ちたのではなかろうか。
今回のいのうえひでのり演出の舞台は、蜷川幸雄の舞台に対する応答であると思う。主軸の俳優陣は実力派揃い、蜷川演出よりも台詞の発語がより自然で聞き取りやすく、心にもすっきりと入ってくる。遅ればせながら舞台の小池栄子をはじめてみた。お亀という役じたいが儲け役という点はあるが、「お亀のあの台詞や場面をどうやってくれるのか」と出番のたびに期待させ、これからどんな作品のどの役を演じるのかまでわくわくと想像させてくれる演技であった。
大がかりな舞台美術や照明、音響といったところに目も耳も奪われがちだが、秋元松代の戯曲、台詞をしっかりと味わいたい。幼なじみの忠兵衛の決意にほだされ、与兵衛は店の金を差し出す。おそらく婿入りしてからの彼にとって、犯罪に加担したとは言え、唯一会心の大仕事であったろう。「今日はいい気分だ」と満ち足りた表情を見せ、訝しむお亀に「おなごにはわからん」と晴れ晴れと笑う。この場面で、与兵衛は男になったのだ。そして追われる身になった婿を案じて、舅の長兵衛(大原康裕/文学座)が「与兵衛はだめな男だが、あんなに心の良いやつはいない。助けてやりたい」と涙ながらに天を仰ぐ。婿と舅の場面はまったくないのに、この台詞が納得できるというのは、すごいことではないか。
観客に見せないところ、聞かせないところを観客に想像させ、納得させる。秋元松代の戯曲の魅力であり、演じる俳優の力量であろう。
蜷川の舞台を多く見ているわけではないが、他の追随を許さぬ唯一無二の存在であることは自分なりに認識している。しかしながら、一人の演出家について、「継承しなければならないこと」というものは、果たしてあるのだろうか。作品に対する姿勢、俳優への愛情、熱意、共同作業であることの認識、すべてのスタッフへの配慮、批評に対する冷静で客観的な視点等々、数え上げればきりがないだろう。だが個々の演出の技法、レトリック、形式については、ベテランも中堅も若手も関係なく、一人ひとりが個性を発揮し、自由に作るものだ。敢えて継承するものが何もないところから出発し、わたしたちが知らなかった作品の一面、登場人物の心の奥底を覗かせてほしいと願っている。
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