因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シアターX カバレット ろびい寄席2021  『モンテンルパの夜明け』

2021-12-05 | 舞台
*新井恵美子原作 ひいらぎのりこ構成 劇場サイトはこちら 両国・シアターX 12月5日1回のみ
 BC級戦犯の悲劇は、映像の『私は貝になりたい』をはじめ、木下順二の『夏・南方のローマンス』、井上ひさしの『闇に咲く花』、曽野綾子の小説『地を潤すもの』が思い浮かぶが、今日の舞台の原作『モンテンルパの夜明け』(1996年潮出版社刊/Amazon)は、フィリピンはモンテンルパのニュー・ビリビッド刑務所に戦犯として収容された多くの旧日本兵の苦難の日々と、彼らの帰国のために奔走した人々の濃厚な交わりを記した、新井恵美子渾身のルポルタージュである。

 1952年に発表され、大ヒットした歌謡曲『あゝモンテンルパの夜は更けて』が、作詞の代田銀太郎、作曲の伊藤正康ともに、モンテンルパのニュー・ビリビッド刑務所に収監されていた元軍人であること、歌が誕生した経緯、その影響、歌唱を担った渡辺はま子や現地に派遣された加賀尾秀忍教誨師、新聞記者など多くの人々が戦犯やその家族にまで深く心を寄せ、帰国が叶うべく尽力したことなどが詳らかにされた原作は、読むものを掴んで離さない迫力があり、頁をめくるや、ぐいぐいと引き込まれる。「どうしても書き記さなければならない」という堅固な意志に貫かれ、溢れんばかりの情熱で綴られた本作は、そのまま作者である新井恵美子の人となりであろう。会場は満席の盛況だ。朗読の名手・阿部壽美子のファンはもちろん、新井恵美子に心酔する読者が多く見受けられた。

 終演後、作り手と観客が語り合いの場が持たれた。御年91歳にして1時間の語りを終えた阿部は「これはドキュメンタリーなので、感情移入ができない」と発言している。芥川龍之介や中島敦、新美南吉など多くの文学作品を深い洞察と的確な理解で捉え、卓越した朗読の技術で切り開き、格調高くみごとな語りの世界を生み出している阿部の率直な言葉だけに、まことに興味深い。

 ドキュメンタリー、つまりノンフィクションを俳優が朗読することについて考えてみる。傑作と言われる作品であっても、朗読に適切であるか、生身の俳優が語り、それを観客が聴くというエンターテインメントとして必ずしも成立するとは言えないだろう。いったい名作、名文とは何だろうか。

 たとえばNHK・EテレのETV特集をイメージしてみよう。現在のモンテンルパの様子や当事者、その家族や関係者の肉声をひとつの軸とし、『モンテンルパの夜明け』の朗読をもうひとつの軸とする形式であれば、おそらく第一級のドキュメンタリー映像となるのではないか。だが舞台の朗読作品とするには、原作の読み込みはもちろん、すべてを朗読できないので、舞台作品としての構成、どのように読むかという演出等々、大変な作業が必要と思われる。

 「語りとは吾が言うことだ」とは阿部壽美子の言葉である。俳優である「吾」が、BC級戦犯、その家族やかかわった人々の思いを筆に託して昇華したルポルタージュを「言う」。俳優はただ滑舌やイントネーションに注意して原作をそのまま読めば済むわけではない。どこに「吾」を響かせるか。阿部は「感情移入」と言ったが、これは肉声と肉体によって作品の表現を担う俳優の使命、良心、品格といってもよいのではないか。

 折しも日米開戦から80年の節目の年である。なぜ戦争を始めてしまったのか、引き返すことなく突き進んで無辜の民の命を奪い、塗炭の苦しみを与えたのか。誰も納得する説明をせず、謝罪もしないままである。当時の体験者の残り時間は非常に少ない。語り合いの終盤、「戦後嬉しかったのは選挙権が持てたこと」という阿部の言葉に会場からは拍手が起こった。戦後生まれのわたしたちは当然のように選挙権を持っているにも関わらず、10月の衆院選の投票率は50%に満たない。名手による朗読を堪能しつつ、寒々とした思いにかられるのは、師走の冷たい風のせいばかりではなさそうである。
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