根来寺友の会だより・・・より。
「居 (きょ) を高野 (こうや) の樹下 (じゅげ) に卜 (ぼく) して
神 (たましい) を兜率 (とそつ) の雲上に遊ばしむ。
日々 (にちにち) の影向 (ようごう) を闕 (か) かさずして
処々 (しょしょ) の遺跡 (ゆいせき) を検知す」
後の二句は「日日影向文」として高野山大門の注聯 (ちゅうれん) に左右に分けて掲げられています。寛治年間 (1087~1094) に東寺の僧勝実が善通寺において感得したと言う「御筆の一筆」とされ、弘法大師が書かれたと信じられています。
興教大師もその著作である「弘法大師講式」において「大師自ら記して曰く」としてこの前後四句をそのまま引用しています。
・・・続けて弘法大師の「御遺告」の一文も直接引用されています。句の意味は、弘法大師は住まいを高野山奥之院の樹下に選び定め、心は弥勒菩薩が住む兜率天に赴いているけれども、毎日姿を現して、ご縁のある各地に出向いて行かれ衆生の救済に力を注がれているという内容です。
・・・感得・・・とは、今風に言えば、「降りてくる」でしょうか。
弘法大師と言えば、四国88ヶ所で身近に感じるため、われわれに近しい存在に思えるのですが、実際は、現代人の我々より、神々が人として活躍されていた時代に近い人なのですね。
弘法大師・空海 (774年〈宝亀5年6月15日〉ー 835年4月22日 〈承和2年3月21日〉
本日も、庭に、私と仲が良いトンビの「金若」の尾羽がありました。
これで尾羽2本目です。
私が近い将来、この地からいなくなることを察知して、金若がくれたのだと思います。ここ1、2年・・・「金若の翼の羽2本」「カラスたちの羽数本」「ツバメ・スズメ・ヒヨドリのヒヨ、ほか小鳥の羽毛」が、うちの家の目立つ所にありました。
全部、袋に入れて神棚に安置しています。
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