昔、アマゾンで買った本です。
「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ」。原始仏典のうち、ブッダが神々と対話した記録集。無作為に選んで記していきます。読みやすいよう、多少アレンジしています。
ブッダ曰く、
「人のいない地域 (=荒野) に清冷な水があっても、それを飲まぬならば、涸れて消え失せるように、愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健き人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、また為すべきことを為す。
牡牛のような人である彼は、親族の仲間を養って、人から非難されることなく、天の場所におもむく」。
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また、コーサラ国王パセーナディは、お釈迦さまに「ある、子がいない資産家が亡くなった」ことを告げ、色々と質問します。その資産家は、大富豪であるにもかかわらず、ものすごくケチで、財産をほとんど手つかずで残していました。そのため、手つかずの財産は全て王宮が没収した。
ブッダの説明によると、「その資産家は遠い過去世で、タガラシッキと言う独覚 (独りで悟りを開いた聖者) に食物を与えた功徳により、七度、天の世界に生まれた。ただ、独覚に布施したあと、後悔し、なおかつ、財産を得るために、兄弟のただ一人の子を殺してしまった。その報いで、ものすごく長い時を、地獄で苦しめられた。その悪業の報いの残りよって、ここ (娑婆) に七度生まれても、子が無く、死んだ後、財産は王宮の倉庫に入った。その資産家の、(過去世で独覚を布施した功徳は) 尽き果てて、死んだのち、大叫喚地獄で煮られているのです」と。
ブッダ曰く、
「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、奴僕も、傭人も、使い走りの者も、また彼に従属して生活する者どもでも、どれも全て連れて行くことはできない。
全てを捨てて行くのである。(※ 来世に)
人が身体で為し、また言葉や心で為すところのもの (=業=カルマ) 、それこそ、彼自身のものである。人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、彼自身に従うものである。影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世で人々の拠り所となる」
・・・善因善果・悪因悪果、自業自得を仏教は説きますが、
自業自得とは、悪業だけが自分に返ってくるのではなく、善業 (善徳) もまた、自分に返ってくるものです。
では、プーチンやトランプ、はたまた、真昼間から強盗働く者、それを裏で指示する者、霊感の「れの字」も無いクセに聖者ぶったり霊能者ぶったりして、人々を騙して儲ける悪逆な人間はどうして栄えることがあるのかと言うと、
業と言うものは、「機が熟する」まではわからないもので、機が熟したら、善業・悪業問わず、自分に返ってくるものです。
中には、死ぬまで人々を騙し続け、死んだのち、その悪業が返ってくる者もいます。
サンユッタ・ニカーヤ ブッダ神々との対話終わります。
次回から、
サンユッタ・ニカーヤ ブッダ悪魔との対話に進みます。
余談ですが、私はどうも、キリスト教の忌み数に御縁があるみたいです。
色々と・・・。
13・666・・・また666。
ただ、キリスト教徒以外の人間には、13も666も関係ない。
13は仏教では、十三仏。
666は知らないが、6は六波羅蜜。大乗仏教の6つの徳目。
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