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この道50年の銭湯絵師、今日もがんばる

2013年04月08日 06時04分39秒 | 時事放談: 国内編

銭湯大好き人間です。昨日も、お気に入りの新井薬師の新越泉に行ってきました。そんな人間にはとても面白い記事です。記録しておきましょう。

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銭湯に理想の富士を描き続けて50年、背景画師の仕事場に潜入インタビュー(クランクイン!) - goo ニュース

2013年4月6日(土)10:15

銭湯に理想の富士を描き続けて50年、背景画師の仕事場に潜入インタビュー
(クランクイン!)

 老若男女さまざまな人たちが集う社交場であり、人と人との付き合いを学ぶ社会勉強の場でもある銭湯。中島盛夫氏はそんな銭湯を彩る絵を、50年に渡り描 き続けてきた「銭湯絵師」だ。風呂の壁という広大なキャンバスに、富士山をはじめとした雄大な景色が描き上げられていく様は、さながらマジックを見ている かのよう。日本人“心の風景”を描き続ける中島さんに話を聞いた。

――下絵も描かず大きな景色が見事な配置で描き出されていくのが圧巻でしたが、中島氏の頭の中にこの光景があるのでしょうか。
中島 完成した絵があって、それを当てはめていくっていうか。銭湯へ来て、前の絵を見てパッと決めるの。ここ(「鶴の湯」:江戸川区北小岩7-4-16)は横に広いから、水平線を長くして、広く感じさせて。

――現場となる銭湯へ行って、そこの特徴で描く絵も決まってくると。
中島 そうそうそう。幅が狭いところは川とかを描いて奥行きを出します。

――絵柄はやはり富士山が多いんですか?
中島 僕はもう必ず男湯と女湯のどちらかに富士山を入れる。僕は生まれが福島で、「蔵王はいい山だ」と思ってよく蔵王の絵を描いていたんだけど、東京へ来て富士を見たら、もう富士にかなうものはないね(笑)。

――富士山のどういったところにそれほど惹かれるのでしょうか。
中島 もうなんて言ったって、綺麗な優雅さっていうか。普通は連山だけど、一つの山だからね。これだけ独立してあるっていうのは他にはないし、末広がりで縁起がよくて。

――こうした構図の研究・参考に出掛けて行ったりされるのですか?
中島 行くけど、富士の手前なんかはパッと見た感じで、ほとんど自分で作って描きます。昔は出掛けてスケッチをしたり写真を撮ったりもしましたけど、今はもうボーっとして見てるだけ。頭に入れるだけです。

――では、そうして見てきたさまざま景色が混ざり合って絵に反映されていると。
中 島 そう。要するにこの構図でお風呂屋さんをいかに明るく見せるか。この絵は明るくなくちゃダメなのね。普通の油絵なんかは自分の描きたい、それこそ自分 の世界に入るけど、これは違う。いかに自然に、お客さんが露天風呂に入ってる気分にさせるかっていう。だからゆったりとしたね。

――もうお風呂に絵を描いてどれくらいになるんですか?
中島 今年で丸49年。昭和39年、東京オリンピックの年からだから覚えてるんだ。来年50周年。50年っていうと半世紀だもんね。だからって別に何もしないけど(笑)。

――描いた銭湯は何軒にになるか覚えてらっしゃいますか?
中島 それは覚えてないけど、約5000軒ぐらいじゃないの。

――銭湯に絵を描くようになったきっかけというのは?
中 島 きっかけは簡単。初めて銭湯へ行った時この絵があったんだけど、こんなに大きいからビックリしてね。その瞬間“描いてみたい”って思ったの。こんなと ころに絵を描けたらいいなって。最初は福島から出てきて町工場で働いていたんだけど、たまたま新聞を見たら助手を募集していたんです。それで行ってみた ら、そこで見た師匠の絵のスゴさ。ビックリしましたね。色使いは違うし、明るくて綺麗で、それでいて早い。最初の3年は空の色塗りをさせられたんだけど、 その間に師匠は下の絵が終わってるんですから。

――おいくつの時に入門されたんですか?
中島 19歳。ずーっとですね、それから。3年の間は空塗り専門。そのうち慣れてくると雲を描かせてくれる。それと男湯と女湯の間に森を描いて繋ぐんだけど、そこをやらせてもらったり。それで3年経ったら女湯を描かされて、26の時に独立しました。

――今日は鮮やかなお手並みでしたが、当時は……
中島 そんなに上手くは描けないよね(笑)。師匠のを見ていると「こう描けばいいんだな」と思うけど、いざ1人で始めると、広くて大きいからどこをどういう風にしていいのか(苦笑)。要するに構図的なことですね。

――今日はもう見て即決で、次々描かれていきましたが、ここに至るには大変な道のりがあったと。
中 島 そうそうそう。何たって一番難しいのは富士山。富士は一生かかったって難しい。あと意外と難しいのは松。富士と松が付き物なのね。これが難しい。それ で描き始めは師匠の色の使い方とかを見て描くんだけど、自分の色を出して自分の絵になるには10年ぐらい掛かる。でも、10年経ったからいいってもんじゃ ないし。

――銭湯以外には描かれないんですか?
中島 依頼があれば居酒屋さんだとかね。あとは老人ホームのお風呂が多いね。銭湯世代の人が入ってるから、銭湯を懐かしがって。

――来年でいよいよ銭湯絵師生活50年、思うところ、お気持ちはいかがでしょうか。
中 島 若い時から比べたら、やっぱり体が動かなくなって描くのが1時間ぐらい遅くなってるから、一生懸命やってます。休みが多くなるのね(笑)。今は1回休 むと30分ぐらい休むけど、若い時はそんなに休まないで、一服したらすぐやっちゃう。もう1人描いてる人がいて、その人が師匠も同じで僕の兄弟子なの。で も77でまだ現役でやっていて、目標がいるから。体の動く限りやりたい。それが夢だね。(取材・文・写真:しべ超二)

■■中島盛夫氏プロフィール
1945 年福島県相馬郡飯舘村出身。1964年に上京して間もなく、背景画師の故・丸山喜久男氏に師事。初めてローラー使いを考案し、背景画制作の時間短縮に貢 献。銭湯の減少にともない背景画師が減る中、日本を代表する背景画師の一人として幅広いフィールドで活躍中。練馬区北町在住。

■■銭湯情報
「鶴の湯」
東京都江戸川区北小岩7-4-16
最寄駅:京成小岩

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いま手描きの絵がある銭湯が少しずつ減っています。昨日行った新越泉にも、絵はありません。ちょっと寂しい気がします。でも、コストのことを考えたりしたら、仕方ないのかもしれません。銭湯は、いまや絶滅危惧種になってしまっていますから。

ともあれ、中島さんにはがんばってもらって、あの風情ある富士山をいつまでも見せてもらいたいものです。


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