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沖縄陸軍病院壕、公開へ

2007年04月30日 08時13分46秒 | 時事放談: 国内編
昨日が「昭和の日」でした。英語塾INDECを経営している関係で1日中働いていました。休みだったら子供を連れて行ってみたいところだけはチェックしていました。そして、沖縄に行ったら、絶対に行くところができました。

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ひめゆり悲劇 生々しく 焦げた土壁、天井に刻まれた文字… 沖縄陸軍病院壕 公開へ(西日本新聞) - goo ニュース

2007年4月28日(土)10:10

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、学徒動員されたひめゆり学徒隊の活動拠点になった沖縄県南風原(はえばる)町の「沖縄陸軍病院壕(ごう)」(南風原陸軍病院壕)が保存整備され、27日に報道陣に公開された。6月18日から一般公開される。内部は、米軍の火炎放射器による攻撃で土壁や柱が焼け焦げ、天井には患者が彫ったとみられる文字が残るなど、62年の歳月を経て当時の様子を生々しく伝えている。

 管理者の同町は「劣悪環境で多くの負傷兵が命を落とし、撤退時には動けない患者に自決用の青酸カリが渡された悲惨な現場。壕での追体験を通じ平和を考える場になれば」と期待する。

 公開されたのは、南風原町に約30ある「陸軍病院壕群」のうち、補強工事をした20号壕。沖縄守備の第32軍や徴用住民が掘った横穴で、全長約70メートル、高さと幅は各1.8‐2メートル。横穴に沿って2段ベッド(約60人分)が並べられ、通路や壕外にあふれる負傷兵を軍医や学徒らが手当てしていたという。

 手術場近くの天井には「姜」と確認できる字と、解読不能な2文字が刻まれている。当時を知る学徒の話では、付近のベッド上段は朝鮮半島出身兵が利用しており、自分か両親などの氏名を彫ったとみられる。

 病院壕は、米軍の上陸直前の1945年3月下旬から約2カ月間使われ、米軍の攻勢で那覇市・首里城地下に本部を置いた32軍が沖縄本島南部に撤退するのに伴い、撤退命令が出された。

 見学は完全予約制で、事前連絡が必要。ガイドが案内する。南風原文化センター=098(889)7173へ。

=2007/04/27付 西日本新聞朝刊=

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70mにも及ぶ壕をどんな気持ちで掘ったのでしょう。しかも、最後は火炎放射器によって殺されたり、青酸カリをあおったり・・・。悲惨な戦争の現実からわれわれは目を背けてはいけません。

犠牲者の方々に静かにご冥福を祈らせていただきます。

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