夢と希望と笑いと涙の英語塾

INDECという名の東京高田馬場にある英語塾で繰り広げられる笑いと涙の物語
新入会員募集中!

酒井雄哉大阿闍梨、死去

2013年09月25日 06時08分29秒 | 時事放談: 国内編

酒井雄哉大阿闍梨が、23日にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

**********

天台宗大阿闍梨 酒井雄哉師死去、87歳 「千日回峰」2度(産経新聞) - goo ニュース

2013年9月24日(火)15:25

 比叡山の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度達成した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(さかい・ゆうさい)師が23日 午後2時27分、心不全のため自坊の延暦寺一山(いっさん)長寿院(大津市坂本本町)で死去した。87歳。通夜は26日午後6時、延暦寺一山葬は27日午 後0時半、大津市坂本6の1の17の生源寺で。喪主は、弟子で大阿闍梨の藤波源信(ふじなみ・げんしん)師。 

 大阪市出身。鹿児島県の特攻基地で終戦を迎え、戦後は職を転々とし、妻との死別などを経て昭和40年に得度した。比叡の峰々で約4万キロの距離を 7年間のうち計千日かけて踏破する「千日回峰行」を、55年9月と62年7月の2度満行(まんぎょう)した。記録が残る織田信長の比叡山焼き打ち (1571年)以降、2度達成したのは3人だけだという。

 国際交流にも努め、平成3年8~9月に中国仏教の聖地、中国・五台山を巡礼。7年6月には当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世に謁見するなどした。

「千日回峰」2度…大阿闍梨、酒井雄哉師が死去(読売新聞) - goo ニュース

2013年9月24日(火)03:09

 天台宗総本山・比叡山延暦寺(大津市)に伝わる荒行「千日回峰(せんにちかいほう)」を2度達成した大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(さかい・ゆうさい)師が23日、歯肉がんで死去した。87歳。

 延暦寺一山(いっさん)葬は27日午後0時30分、大津市坂本6の1の17生源寺(しょうげんじ)。喪主は弟子の藤波源信・大阿闍梨。自坊は同市坂本本町4239、延暦寺一山長寿院。

  大阪市生まれ。39歳で得度した。54歳だった1980年には、地球1周にあたる約4万キロを7年かけて歩き、このうち9日間は不眠・断食で真言 を唱え続ける荒行「千日回峰」を達成。記録の残る織田信長による比叡山焼き打ち(1571年)以降では、最高齢で「大阿闍梨」となった。60歳の87年に は2度目も満行。3人目の快挙で、生き仏とたたえられた。

酒井雄哉師死去 気さくな人柄慕われ「まさに生き仏のよう」(産経新聞) - goo ニュース

2013年9月24日(火)15:25

  「まさに生き仏のようなお方だった」。天台宗の修行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度達成した大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉 (ゆうさい)師。偉業を成し遂げたとは思えない気さくな人柄が親しまれた人物の訃報を受けて、信者や宗教関係者、文化人ら親交のあった人々に悲しみが広 がった。 

 「今できることをやればいい」「がんばらなくていいんだよ」など多くの著書を残し、荒行を通じて得た人生観を社会にわかりやす く語りかけた酒井 師。最期をみとった弟子で大阿闍梨の藤波源信師は「亡くなる前に、近くにいた信者一人一人に『ありがとう』とおっしゃっていた。苦しさもなく、普段通りの お顔だった」と話した。

 テレビ番組の企画で、冬の比叡山・根本中堂で酒井師と対談したエジプト考古学者の吉村作治・早稲田大名誉教授は「冷え込んだお堂に、薄い法衣一枚着ただけで表情を変えずに座っていた。『煩悩は簡単に捨てられないから我慢が大切』と話してくださった」と当時を振り返った。

  親交が深かった宗教学者の山折哲雄さんは、酒井師の千日回峰行の様子を見学したことがある。「歩くというより飛んでいるような姿が、今も目に焼き 付いている」という一方で、「厳しい修行を経ても、いつも笑顔で『修行にはソバが一番』と気さくに話してくれたのが印象的だった」。

 酒井 師を比叡山へ導いた小林隆彰・大僧正は「奥さんを亡くして寺に来たとき、『五体投地』を1日3千回繰り返す『三千仏礼拝』をさせた。すぐ逃げ 出すだろうと思ったが、40日間毎日続けた。これは本気だと感じた」と振り返り、「修行者としての本来の姿を体現した男だった」と惜しんだ。

厳しい修行2度、常に自然体 大阿闍梨・酒井さん死去(朝日新聞) - goo ニュース

2013年9月24日(火)09:00

  【森本俊司】比叡山延暦寺に伝わる荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度にわたって満行した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉 (ゆうさい、さいは右上から下へのはらいがなし)さんが23日、87歳で亡くなった。厳しい修行を2度も満行したにもかかわらず、酒井さんは常に謙虚に自 然体を強調し、仏への感謝の思いを口にしていた。

 修行を始めて700日目に入ると、「堂入り」という9日間の参籠(さんろう)をす る。 その間は断食、断水、不眠の難行とされる。「4日目くらいから死斑が出てきて、魚のくさったようなにおいがしてきてな」と過酷さを語る一方、「青く茂っ て、時期が来たら葉が落ちる。また来年になったら青く茂ってくる。それを見て、ああ生命っていうのは一回でおしまいじゃないんだなあ、つながっているんだ なって気づいていく。こういうのが仏様からいただく『仏智(ぶっち)』なんだな」と語った。

 酒井さんは学業で落ちこぼれ、戦後に東京で経営したラーメン店が全焼。新婚間もない妻が自殺するなど様々な悩みを抱え、仏門をたたいた。そのためか、知識よりも実践の大切さを強調した。

  「勉強して知識ばかり増やすのでなくて、自分がこのくらいまでなら分かるな、と思ったら、実践していけばいいのよ。実践すれば智恵(ちえ)が出てくる。智 恵が出たら、こうしてみようとか、もう少し勉強しようとか思うでしょう」 こうした人生への深い洞察力を胸にひめながらも、わかりやすく市民に語りかける ような著作で人気を博した。

      ◇ 《NHKディレクター時代にNHK特集「行~比叡山 千日回峰~」(1979年)を制作した WOWOWの和崎信哉社長の話》 サラリーマンとして落ちこぼれ、40代で修行の道に入った酒井さんは、軌跡そのものが実に人間くさかった。俗世で傍若無 人にふるまってきた自分と決別して高みへと向かっていく姿は、会社員や商売の世界にも通じる普遍性があった。宗教界のエリートでは全くなかったが、宗教が 我々の生活に向き合うことの少ないこの世の中において、その垣根を低くした功績は大きかったと思う。

**********

大阿闍梨のことを知ったのは、高倉健さんの次の本からでした。

南極のペンギン (集英社文庫)
高倉 健
集英社

 

旅の途中で
高倉 健
新潮社

だれもができることでもないのに、それをさらっとやったかのようにおっしゃる。これこそが、本当の聖人なのだと思います。ほんの少しでも見習って、歩き続けたいと思います。合掌。

 

 

 


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クドカン、『あまちゃん』続... | トップ | 韓国与党、旭日旗の韓国内使... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2016-02-19 12:22:30
千日回峰行を2度満行・・・3名

2度では複数回やる意味がないとして、いずれ3度の満行を志す者が現れる
返信する

コメントを投稿

時事放談: 国内編」カテゴリの最新記事