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YS11、高松から能登へ3年ぶりのフライト

2018年05月12日 05時23分45秒 | 時事放談: 国内編

まだがんばっているんですね。うれしいです。

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戦後初の国産旅客機が3年ぶり飛行 高松から能登へ
朝日新聞 2018年5月11日23時35分

 2015年から高松市の高松空港に駐機していた戦後初の国産旅客機「YS11」が11日午後、石川県輪島市の能登空港に向けて飛び立った。飛行は3年ぶりで、雄姿を一目見ようと航空ファンが詰めかけた。

 YS11は戦後初めて国内メーカーが開発し、1962年に初飛行。国内ローカル線を支え、2006年に定期運航から引退した。

 機体を所有する航空機整備会社「エアロラボインターナショナル」(大阪府八尾市)によると、同機はエンジンやプロペラが製造当時と同型で、民間機では国内唯一の飛行可能なYS11。「自社の技術力でYS11を復活させよう」と、国土交通省が保有していたものを14年に落札し、飛べる状態に整備した。

 15年5月に羽田空港から保管コストの安い米国に向かう予定で、給油地として高松に飛来したが、無線機が不調でそのまま駐機。米国行きを断念し、国内で保管場所を探していた。

 高松空港ではイベント時に地上走行するなどして親しまれた。今後は、能登空港に隣接する日本航空学園(本部・山梨県)能登空港キャンパスが保管場所を提供するという。

 この日は午前の試験飛行と午後の離陸を見ようと、大勢の人がカメラを携えて駆けつけた。同社広報の江野暁さん(40)は「久しぶりに飛ばすことができてうれしい。これからも飛べる状態を維持し、航空学園の教材としても使ってもらいたい」と話した。(多知川節子)

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生まれて初めての飛行機が、YS11でした。小学校2年、1967年夏のことです。まだ熊本市内にあった熊本空港から長崎空港まで両親とともに乗りました。ワクワクしたのを憶えています。

まだ飛べるYS11が残っていたことに、感激しました。改めて、優雅で、美しい飛行機だと認識した次第です。


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