昨年九月に亡くなった父の一周忌法要が無事に終わった。
改めてこの一年を振り返ると、線香をまめに焚いていたこともあってか
生前よりもずっと父のことを思い出すことが多かった気がする。
約一年振りにあった親族と膳を囲みながら酒を呑み、世間話に花を咲かせていると
つい先週ぐらいにもこの食事会やったよな?と錯覚してしまう。
歳を重ねるほど頭の働きや体の動作が鈍くなる一方、
時間経過は年々加速していて、もう一年が思春期の一ヶ月ぐらいの体感しかない。
体の劣化は着実に進んでいて、
食道癌の疑いから胃癌の疑いへメドレーリレーで検査に振り回されたり
持病の悪化で通院回数と薬の量が増えたり、突然始まった耳鳴りに悩まされたり
我が身のポンコツさが、雨漏りの酷い古民家のように思えてきて情けなくなる。
修繕費用がかさむ家は潰すか建て替えを検討するところだが、生身の体はそうはいかない。
墓じまいする家が増えている中、我が家は世間に逆行するように新しく墓を建てた。
父の親族が眠る墓は遠すぎて墓参りに行く気が起きないとの理由で
家から近い場所(車で十五分ほど)を母が選び、真新しい墓に納骨も済ませてきた。
プロテスタントの母は「死んでまでお父さんと一緒の墓には入りたくない」が口癖で
自分が死んだら祖父母の眠っている教会に納骨してくれと何かにつけ念押ししていたのだが
父が亡くなった途端に「仕方ないから入ってあげようかな」と言い始め、墓を新調したのだった。
一周忌法要の少し前、自宅の仏壇に一枚の葉書が置いてあるのを見つけた。
差出人を見ると、幼い頃から良く遊んでもらっていた父の友人からだった。
学生時代からの大親友で、今は介護施設に身を寄せているらしい。
同級生の友人は次々にいなくなって寂しい。
残ったのはいよいよ俺と●●(父の名前)だけになってしまったが
お互い体に気をつけて長生きをしようと、そんなことが書かれていた。
亡くなったことを知らせなくて良いのかと母に問うと
「だってじぃじが生きてることが■■さんの今の心の支えなんだから、
わざわざ気力を奪わずに、元気にしてると思わせてあげましょうよ」と静かな口調で語った。
教えない優しさ、か。人生、まだまだ学ぶことがある。
父の死後、名義変更や遺産相続の手続き等で
本当に多くの手続きがありヘトヘトになったので
いずれ来るであろう自分の死後に、残されたものの負担を軽減できればと
死後事務委任について調べ始めた。
私の場合、例えばサブスク契約だけでも七社ぐらいあり
スマホとの合算請求だったり、PayPay引き落としだったり、クレカ払いだったりと
支払い方法が異なっていてややこしい。
このブログもバックアップ機能のついた有料(アドバンス)契約なので
解約するには届出がいるであろうし、そういった諸々のことを予め伝えておけば
死後に手続きを代行してくれるらしい。
自分が死んだ後のことについて、ネガティブになり過ぎることなく
むしろポジティブに考えられるようになったことが、父の遺した最後の教えかも知れない。
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