2月1日からメキシコ、カナダ、中国に対する米国の関税賦課が始まるとみられている。関税をかければ米国内の物価上昇を引き起こし、米長期金利の上昇とドル高を招くと多くの識者が指摘しているが、トランプ大統領は米国内の原油採掘を活発化させ、ガソリンなどのエネルギー価格を下落させれば、インフレにならないと主張している。どちらの主張が正しいのか──。
筆者は中長期的に米国のインフレが助長され、米長期金利の上昇とドル高が誘発されると予想するが、ドル高はトランプ大統領の政治的な腕力を背景にトランプ版の「プラザ合意」が形成され、力ずくでドル安誘導すると予測する。そのプロセスがどうなるのか、以下で起こりうる展開を想定してみた。
<トランプ関税の効果を織り込めないマーケット>
30日のNY市場では、10年米国債利回りが10年国債が前日に比べて3.9ベーシスポイント(bp)低下して4.5163%で取引を終了した。2月1日からのトランプ関税の発動の影響を市場は注視しているものの、最終的な「落としどころ」がはっきりしていないため、マーケットも具体的な織り込みが進まず、事実上、傍観姿勢を取っているとの声が多く出ていた。
2023年の米国の全輸入額に占めるメキシコからの輸入額は全体の15.5%、カナダが13.8%、中国が13.7%。そこにメキシコ、カナダに25%、中国に10%の関税がかかれば、米国の輸入品の価格上昇を招き、タイムラグを伴って消費者物価指数(CPI)の押し上げとなって波及する。
ただ、米国内のメディアの情報の中には、全品目に課税するのか特定品目に絞るのかはっきりしないという内容もあり、正式発表まではその波及効果を試算することが難しくなっている。
トランプ大統領から商務長官に指名されているラトニック氏は29日、米上院の公聴会でカナダ、メキシコへの25%関税について「(不法移民やフェンタニル(合成麻薬)の米国流入の防止策としての)対策を実行すれば関税は課さない」と述べていた。
<一律関税の議論、4月以降とラトニック氏が発言>
また、物価への影響が大きくなると予想されている全世界を対象にした一律の関税賦課に関して、ラトニック氏は対象品目を限定せず、国ごとに一律関税を課すべきだとの考えを示すととに、本格的な議論は今年4月以降になるとの見解を示している。
米国は2023年の輸入総額が3兆1123億ドルに上っているが、ここに10%の関税がかかると3112億ドル(47兆9000億円)の関税収入が米連邦政府に入ることになるが、物価の押し上げが大きくなり、インフレ率の上昇によって2年後の米中間選挙での敗北を招きかねないため、トランプ政権の中には大規模な関税賦課に反対の声が少なくないと言われている。
実際、ラトニック氏の「国ごとに一律関税」という発言も、関税対象国を絞る狙いがあるのではないか、とみられている。
冒頭に紹介したマーケットの傍観姿勢の中には、インフレの悪化を招くような大幅な関税の引き上げはない、という一部の市場参加者の見通しもかなり入っていると指摘したい。
米議会予算局(CBO)は昨年12月、中国製品に60%、その他の国・地域に一律10%の関税を賦課した場合、従来の中立的な予測との比較で、2023年の実質国内総生産(GDP)が0.6%減となり、個人消費支出(PCE)物価指数が2026年に約1%上昇するとの試算を公表している。
<1100万人の不法移民強制送還、現実的なのか>
一方、米国内には1100万人の不法移民がいると言われているが、この全体を強制送還するには年間で880億ドルのコストがかかるとの試算も一部で出ている。連邦政府の歳出見直しに着手しているトランプ政権にとって、この新たな支出増は無視できない規模だと指摘したい。
したがって現実には、強制送還の規模が当初の想定を大幅に下回り、人手不足の深刻化─賃金上昇ー物価上昇という圧力がそれほど高まらず、識者が懸念するほどのインフレ高進の圧力にならないと楽観している声も米国内では少なからずあるようだ。
<シェールガス増産にコストの壁>
一方、トランプ大統領は米国内のシェールガスなどを「掘って掘って掘りまくれ」と号令し、原油の大増産によってCPIの上昇圧力を吸収し、バイデン政権時に顕在化したインフレの「鎮圧」を目指している。
だが、こちらも目論見通りにいくのかはっきりしない。米国のシェールガスを新規に掘削する際の採算ラインは1バレル=80ドル前後とみられ、そこに足元における原材料費の高騰や人手不足による人件費の上昇を加味すると、大統領の号令だけで本当に増産できるのか疑問視する声がすでに米業界内にはあるという。
さらに原油価格の下落が物価の下流のCPIまで波及するには、最低でも半年程度のタイムラグが生じるため、現実にどの程度の増産になれば、物価をどれくらい押し下げるのかは多くの専門家が試算をためらうほど難しいようだ。
<インフレ進展の可能性、進むドル高>
このように見てくると、トランプ関税と不法移民の強制送還に伴う物価上昇圧力と、米国内での原油増産による物価押し下げの効果は、いずれも波及効果のいくつもの段階で予想が難しい変数が入り込んでしまうため、どちらのパワーが強くなるのか断定するのは難しそうだ。
だが、トランプ大統領が選挙公約で掲げたトランプ減税の恒久化を実現するためには新たな財源が必要であり、その財源確保のため、トランプ大統領が大規模な関税収入の確保に走る可能性が高いと筆者は予想する。
したがって輸入品価格の上昇を起点にした米国内の物価上昇圧力は次第に強くなり、エネルギー価格の低下が緩やかな範囲にとどまって物価上昇の圧力を吸収できず、インフレ圧力の高まりによる米長期金利の上昇が先に来て、ドル高が現実味を帯びてくるのではないか。
<トランプ版プラザ合意、日本にはメリットも>
ところが、ここからが伝統的なマクロ政策の専門家の提言に耳を傾けない「異形の大統領」の真骨頂発揮となるのだが、ドル高が貿易赤字の元凶とみて、他国との協調でドル安を現実化させる道を選択する可能性がかなりあると予測する。
いわゆるトランプ版の「プラザ合意」という国際協調の枠組みを強引に作り出すのではないか。欧州連合(EU)は参加を拒むかもしれないが、日本や韓国、他のアジア諸国と英、豪、カナダなどが加わることになれば、それなりのドル安誘導は可能ではないか、という見方もあるようだ。
大幅な円安は国内物価の想定を超える上昇につながりやすく、世論が物価高に反感を持ちつつある現状で円安を止めることにメリットを感じる声が日本政府内でも増える可能性がある。
日本の政策当局にとっては、トランプ関税の始動後に起きるドル高のテンポとトランプ大統領のドル高是正の号令がどこで出てくるのか、固唾を飲んで見守る時間帯がいずれ到来すると筆者はみている。