「ツタワルドボクオンライン全国大会2020」に参加。
いや待てよ。
この場合、ツタワルドボクとオンラインを区切らずに書くと、知らない人はひと息で読んでしまうのではないか?
などという余計な疑念がわき起こる。
「ツタワルドボクオンライン」。
これではなんのことかよくわからない。
「ツタワルド」+「ボクオンライン」
そんなふうに読まれても困る。
「ツタワル」+「ドボクオンライン」
そこはかとなく雰囲気はただよっているが、そう読まれてもまた困る。
うーん。
腕組みをしてしばし考える。
おもむろに、主催者のホームページをのぞいて確認してみた。
「ツタワルドボクオンライン全国大会2020」
主催者がそう言っているのだもの、ま、いいか。
ということで採用。
元へ戻る。
「ツタワルドボクオンライン全国大会2020」に参加。
つまり、オンラインで開催された一般社団法人ツタワルドボクの2020年全国大会に参加した。
桃知さんの「中小建設業は自ら情報を発信しなければならない」という呼びかけを、自分自身に向けられたメッセージだと「勘違い」したのが2008年。
あれから12年。
なぜだかその「勘違い」は、すこぶる強力な「勘違い」で、自らで受けとめそれを実践することにとどめておけばよいものを、「伝えなければならないのだオレは」と、これまた強烈に「勘違い」をしてしまい、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、日本全国津々浦々、場所も時も選ばずに、「現場人による現場からの情報発信」を説いてきた。
そんなわたしだもの。
「ツタワルドボク」の存在を知らなかったはずはない。
しかし、これまで接点を持つことはなかった。
理由は、ない。
それが今回参加しようと思った。
理由は、ある。
10年の歳月は長い。
自らが「勘違い」をして自らに与えた役割が、これからも同じである必要はない。
十年一日のごとく、「情報を発信せよ」と唱えてきたが(そこには当然具体的な処方箋の提示はあったにせよ)、それが「今という時代」にそぐうものであるかどうか、という自身に対しての問いかけは、常になされつづけなければならない。アップデートすることなしにつづけるのがよかろうはずはない。思いきってリライトすることも必要だろう。
しかし・・
わかっちゃいるけど・・・
自分自身に対して限界を感じたことは、これまでも一度や二度ではないけれど、これまでにないほど、大きくそれを感じていた今日このごろなのである。
そんなときは・・・
そう、外の力だ。
しかも、自分にとっては未知の人たちへと、つながりを広げていくにかぎる。
そう、「広くて薄い紐帯」だ。
それが理由だ。
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つまり、この「広くて薄い紐帯」の特徴は、クラスターを基底にしながらも、そのクラスターを越え、ノード(個)が自らをハブ的に機能させ、自らのネットワークを広げていくことにある。
ここでは、ノード(個)はクラスターを基にしながらも、自らのハブ的能力を問われることになるだろう(このハブ的能力のことを私は「適応度」-環境変化適応能力-だと考えている)。
このような関係性から「広くて薄い紐帯」とは、スケールフリー・ネットワークとランダム・ネットワークのハイブリッドとして捉えることもできよう。
(『ももちどっとこむ 店主戯言』2004.11.25より)
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ここにおいて、「クラスター」とは「 集団、群れ」であり、「スケールフリー・ネットワーク」とは「一部のノードが膨大なリンクを持つ一方で、ほとんどはごくわずかなノードとしか繋がっていないようなネットワーク構造」であり、また、「ランダム・ネットワーク」とは、「ノードとノードの間のリンクが志向性もなく、規則性もなく、ランダムに張られているネットワーク」のことである。
わたしがこの「広くて薄い紐帯」を意識し、努めてこの身を置くようにしはじめたのは、例の「勘違い」の所産だ。
おかげさまで、そこからどれほどの恩恵を受けたか、はかりしれないものがある。そして、わたしもまた、相互リンクのなかでいくばくかの役割と影響を与えたことがある(たぶん)。
もちろん、それは必ずしもあるグループや集団に限られるものではない。そして、「ここからここまでだからね」とか「誰かはそうで誰かはちがうからね」とかいうものでもない。どこからどこまでが「帯」であるかは判別できないし、そのようなことを明らかにする必要もないものだろう。それが「広くて薄い紐帯」のよいところだ。
さて、端緒についたこのつながりがどのようになっていくか。
先のことはわからない。
ただ、片山会長がその講演の最後に言ったように、
「ツタワルドボクがプラットフォームになって全国の変人たちが、共に学び、共に刺激し合い、悩みを共有し、呼応した変人たちがつきぬけてゆく」
のだとしたら、そこにこの「辺境の土木変人(土木偉人じゃないよ、土木変人)62歳と9ヶ月」が参加する理由は大いにある。
ということで、
どうかよろしくお願いします、
なのだ。