十年来の知己が緊急入院したというのを知ったのは、彼が退院後にアップロードしたSNSからである。さっそく、ダイレクトメッセージで近況を問うてみると、思いのほか上々らしく、ほっと胸をなでおろした。
そのやり取りのなかで彼が書いてきたあるできごとに驚いた。
なんと、ぼくが夢の中に何度も出てきたと言うのだ。
その文字を見るなり、いやはやまったく・・と苦笑する。
いくらおせっかいの質だとはいえ、遠く離れた病床、しかも一時は死をも覚悟したというところにまで顔を出すとは、いくらなんでも度が過ぎるというものだ。苦笑いするしかないではないか。
と同時に思い浮かんだのが、若いころ読んだ詩の一節だった。
夢の中まで追いかけてきて
いったい君はぼくにどうしてほしいのか
うろ覚えだが、そんなふうな言葉だったと思う。
あれはたしか山之口貘・・いやいや金子光晴だったか・・・と、ひとしきり検索してみたがヒットしない。
とはいえあれは、恋の詩、つまり詩人が恋人に向けて書いたものだったはずだ。恋人なら大歓迎だろうが、この禿頭に出てこられたのではたまったものではない。
という旨の返信を送ると、いやいやそうではないと彼いわく、「なんだかんだと高知弁ですごく励ましてくれた」らしいのだ。
高知弁か・・・これまたやけにリアルである。しかも一度ならず何度もとは。
当然ぼくなら願い下げだが、彼の文面からは、そういった雰囲気は微塵も感じられない。ありがたいことだ。
ということで、期せずして発覚した令和7年巳年初めのおせっかい。
思えば母も祖母もおせっかいで、その血を受けたぼくもまた、小さいころからのおせっかいが、数え年で六十と八を迎えてもおさまりそうにない。