答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

オンライン◯◯

2020年10月05日 | オヤジのICT修業

「チャレンジしつづけるおじさんは強い」

あるいは

「チャレンジしつづけるじいさんは最強だ」

 

わたしが、ことあるごとにそう吹聴するのは、ご推察どおり、自らを鼓舞するためもあってのことだ。

人間というのは変化するものだ。

生きるということは変わりつづけることだ。

変化が常態であり変わらずにある自分というのは思いこみにすぎない。

などと、これもまたことあるごとに言いつづけてきたわたしだが、じつのところは、居着こうとする自分を、なだめたりすかしたり、叱咤したり激励したりと、あの手この手のあれやこれやを使ってもなお、激変激動の流れに主体的に身を置こうとすると少々つらく、どこかで躊躇してしまうことが少なからずあったりする。

それが、生来の性格由来のものなのか(案外、こう見えて、照れ屋で人見知りでひっこみ思案なのです)、あるいは加齢によるものなのか、どちらのウエイトが大きいのかはわからないが、どちらもがその要因であることはまちがいない。

人は居着く。

ひとつことを長くやっていればなおさらだ。

人生が長くなればなるほどその傾向は顕著となる。

日ごろ、エラそうなことを広言するわたしとて例外ではない。

たとえば、あの「オンライン◯◯」というやつへの対応だ。

初夏からこれまで、オンラインセミナー講師というのを、つごう5回務めた。その数は少ないが、オンライン会議にもいくどか参加した。自ら積極的に、「ぜひここはオンラインで」とはたらきかけた会議もある。

とはいうものの、である。

ココロの内のどこかに、「本意ではないのだけれど」という思いがあった。

つまり、それはあくまでも「時と場合」によりけりであり、その「時と場合」においても、まずファーストチョイスとしては、生身の人間同士のやり取りが考慮されるべきであって、それができない「時と場合」における特例、すなわち「常ならぬもの」としてあるものでしかないという思いである。

先日も、この時世下でご多分にもれず中止になった催しを来年開くにあたって、オンラインにするかライブにするかの意見を求められた。もちろん、迷わず「生」を選択した。

そんなわたしのなかで、少しばかり風向きが変わったのはおとといだ。

きのうもとりあげた、「ツタワルドボクオンライン全国大会2020」への参加がきっかけだ。

当初、ツタワルドボク事務局からの誘いに、「ふむ、おもしろそうだな」とは感じたものの、若干の躊躇がなかったわけではない。

これが昨年までだったらどうだろう。移動に要する時間、費用、日程調整、その他もろもろの調整事項とその催しの魅力とを天秤にかけ、結局は「行かない」という結論になっていた可能性は高い。

ところが今回は、冒頭で吐露したような、じつは照れ屋で人見知りでひっこみ思案の(ホントです、信じてくれなくてもいいけど ^^;)個人的事情をクリアしたうえで、わたし自身の身柄を、会が開かれているそのあいだだけそこに拘束すればそれでよかった。

両者があるのと片方だけなのとでは、そのハードルは比べものにならないほど低い。

そう、「オンライン」というやつは、距離と時間を軽々と吹き飛ばしてくれるのだ。

そして、そのコミュニケーションの中身についても、いわゆるふつうの会議という形式が、どこまで参加者個々の本音を引き出すことができるかを考えれば、互いの生身と生身がそこにあるからといってどうこなるものではないのかもしれないし、それが大きな差異を生みださない場合もけっこうあるだろう。

もちろんそれは、「時と場合」によりけりだ。しかし、その「時と場合」においてのファーストチョイスが、生身の人間同士のやり取りとは限らない。「オンライン」は、フェイスツーフェイスができない「時と場合」における臨時措置、すなわち「常ならぬもの」としてあるのではなく、両者共存、両者並列、つまり、その両方が等価のものとして並び立つものとなっていく、いや、なるべきものなのではないだろうか。

2日が経過した今も、会長である片山さんが講演の途中で言った言葉が耳に残っている。

いわく、

コロナによって距離が消滅し、全国の人々がネットで簡単に会え、語り合えるようになった。と同時にそれは、「生」の貴重性を再認識させてくれた。会えないから会える機会をたいせつにしようと思うようになった(走り書きのわたしのメモからです。あくまでもこんな感じの発言)。

 

「その場」へ行き、「その場」で会い、そこではかられるコミュニケーションでしか得られない「つながり」がある。その一方で、コミュニケーションは「その場」に行くことからでしかとれないものではなく、その場に行かなくても得られる「つながり」がある。それはつまり、「その場」にあること(だけ)を金科玉条として必要以上の価値を与えないと同時に、「その場」をよりたいせつにすることにつながりはしないか。

そんなことを、3時間の濃密な会議プラスさらに濃密なオンライン呑み会が終わったあと、ぼんやりと考えた。

 

以上、

「土木を伝える」

「本当にほしいものはなんだろうか(目的)」

「どうやって伝えたらよいのだろうか(企画と実行)」

(これもまたわたしの独断的解釈です。あくまでもこんな感じ)

という会の本質的議論は当然のこと、それとは別に、「オンライン○○」に対するわたしの無知と蒙昧をひらいてくれた「ツタワルドボクオンライン全国大会2020」主催者さんに感謝の意をこめて記してみた。

どうもありがとうございました。

 

 

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumi

 

  

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ツタワルドボクオンライン... | トップ | 失敗をみとめて晒す »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。