朝、起き抜けにアイフォンにあらわれた現場ではたらく男の写真に、「ほぉ、いいじゃないか」と独り言ち、あらためてながめてみる。
全体を見る。
ディテールを見る。
申し分ない。
「あれ?ひょっとしたらこれは」と思い、インスタグラムの過去投稿を探してみる。
案の定、ない。
「はて、オレはなぜこれをボツにしたのだろう?」と首を傾げ、あらためて見てみる。
やはり、まごうことなきぼくの好みだ。
今となっては、確たる理由は定かでない。
たぶん、そのときに撮ったであろう一連の写真群や、前後の投稿とのバランスなどを考慮した結果、「ボツ」という判断が下ったのだろう。
インスタグラムを主戦場(というか今のところ、ほぼそれしかない)とするぼくの場合、よくある話だ。
そして、その時々の主観でハジかれたもの(たとえ客観的に判断したにしても主観を排除することはできない)は、ほとんどの場合、そのままお蔵入りとなってしまう。
「こんなよい写真を・・・もったいないことだ」
さっそく陽の目を見せてやった。
それから数カ月が経った先日、ひとりのフォロワーからダイレクトメッセージが届いた。面識のない方だ。
その写真を題材に絵を描いているのだという。
(はたらく姿に)「敬意すら感じてしまって・・・」なのだそうだ。
これもまた、縁というやつだろう。
点と点を縁がつなぐ。
この先、どのように展開していくのか。
よくはわからないが今回は、動かずに待つと決めた。
そのボツ写真が、自力で世間に出てきたような気がしたからだ。
ならば、作者であるぼくが出しゃばるところではないだろう。
ボツのちから、見せてもらいましょうぞ。