きのうは母の一周忌法要。
当然のように昼間から呑んだ。
本格的に昼酒を飲るのはいつ以来だろうか。
とんと記憶にないぐらい久しぶりである。
といっても、意識してビールオンリーにしたのだから、以前なら生半なことでは酔わないのだが、きのうは少しく様子がちがった。
呑んでいる最中から頭が痛くなってきたのだ。
じつは近ごろ、そのような経験がたまにある。
肝臓がアルコールを分解しきれていないのだろうから、さしもの「鉄の肝臓」と自称してきたわが肝臓も弱ってきたのかと思ってしまうが、夏のはじめの手術以来何度もしてきた血液検査では、すこぶるつきで肝機能値がよいのだから、これは「弱くなった」というよりも、正常になったと表現する方が正しいのではないかと思っている。
すぐに酔う。
あるいは頭が痛くなる。
すなわち、「もういいや」というサインだろう。
早い段階でそのサインが出るということは、人間らしくなったということではないだろうか。
少年期より悪戦苦闘の末に勝ちとった「酒の強さ」が、消えてなくなってしまうということに一抹のさびしさを覚えないではない。
しかし、これもまた「時の流れ」というものだろう。
世阿弥『風姿花伝』にいわく、
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このころよりは、おおかた、せぬならでは手立てあるまじ。
麒麟も老いては駑馬に劣ると申すことあり。
さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆みな失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし。
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この先、「まことの花」が残るか残らぬか。
そこのところはしかとはわからないが、いずれにしても「時分の花」のような勢いは、手に入れようとしても叶わないのはたしかなことだ。
しかし、これまでとはちがう自分で生きられるというのも、それはそれでありがたくおもしろい。
と、達観したようなことを言ってはみたものの、たかだか酒の話である。
唐突に引用された世阿弥こそ迷惑きわまりないだろう。
そして、あにはからんや、そのうち「フッカーツ」なんてことになってしまったという可能性もなきにしもあらずだ。
そうなったらそんときゃどうぞ、指をさしてゲラゲラと笑ってやってほしい。
はてさていかがあいなるか。
酒友たちよ、再見。