またもや俳句界のビックニュース!(^。^)
与謝蕪村が、敬愛する俳聖・松尾芭蕉の名作「奥の細道」を書写した図巻のうち、最古の作品が京都で見つかりました!(◎_◎;)
以下、ニュース記事より。
京都国立博物館によると、絵巻物は与謝蕪村が250年ほど前に作ったとみられ、松尾芭蕉の「奥の細道」を全文書き写して絵を添えたものです。
尊敬する芭蕉の作品を後世に遺そうと、10点あまり作ったと言われ、今回見つかったのは5点目です。
重要文化財にも指定されたこれまでの絵巻物よりも古く、書き写しの原点となった可能性があります。
博物館によると、同種作品は全部で約10あるとされる。見つかった図巻は1777年の制作でそのうちの最古とみられる。図巻は長さ約18m。全文の書写のほか、芭蕉が東北や北陸などを旅する様子を九つの挿絵で表現している。今年2月、所有者の個人が博物館に情報提供し、画風や署名などから蕪村作と確認された。
にゃるへそ!🐈⬛
与謝蕪村は、『蕉風回帰』を唱えた俳人であり、芭蕉に強いあこがれを持っていました。それは、芭蕉の足跡を辿る旅をしたほどのものでした。
また、俳句のみならず画家としても多くの作品を残していて、俳画の創始者でもあります。蕪村の句は絵画的、写実的といわれることが多いのが特徴です。
与謝蕪村の名作、「菜の花や月は東に日は西に」、、、確かに一枚の絵画が思い浮かぶようです。(^-^)
与謝蕪村の名作、「菜の花や月は東に日は西に」、、、確かに一枚の絵画が思い浮かぶようです。(^-^)
与謝蕪村は1716年、摂津国東成毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれ、10代で両親を亡くし、20歳で江戸を目指します。
江戸では松尾芭蕉の孫弟子である早野巴人に入門し俳諧を学び、27歳の頃、巴人が亡くなったことをきっかけに江戸を去り、蕪村は、僧の姿をして東北地方をめぐりました。
憧れであった芭蕉の『奥の細道』の軌跡をたどり、絵で宿代を支払いながら同門の俳人を訪ねるという修行の旅となりました。
10年に近い放浪生活を終え、42歳のときに京都に定住します。
10年に近い放浪生活を終え、42歳のときに京都に定住します。
40代以降は京都の寺院に保管されている古典絵画から絵を学んで絵画の制作に励み、多くの俳人とも交流をしました。
丹後の施薬寺には蕪村の作品「方士球不死薬図屏風」が残されており、45歳で結婚、ひとり娘を授かります。
画家としての活躍も目覚ましく、1771年に池大雅と合作した文人画「十便十宜帖」は重要文化財に指定されています。
その後も「雪中鴉・風雨鳶図」や「夜色楼台図」など、精力的に制作し、1783年、蕪村は68歳でその人生に幕を閉じました。墓所は、京都市左京区の「金福寺」にあり、そこには、蕪村が敬愛した芭蕉に因んだ庵、「芭蕉庵」が残されています。
「御朱印も皐月の花や金福寺」 祖谷馬関