「行駒の麦に慰むやどり哉」 芭蕉
行駒、、、ゆくこま、と読ませていますが、文字通り、道ゆく馬、という意味でしょうか?(^-^)
いや、これまで、さんざん蝶や蜂に化けて来た芭蕉翁ですから、ここも、我が身を馬に譬えているのではないかいな?(^_^)
そうすると、ふと畑の麦に慰められるのも、やどり、一晩の宿を取るのも、遥かな旅路をゆく芭蕉と鮮やかにイメージが重なって来ます。m(__)m
では、句意を検索してみましょう。( ^_^)/~~~
(句意)
甲斐の旅路を行き暮れて、とある人家に立ち寄り、そこで穂麦をもてなされた駒ともども、道中の疲れをいやすことだ、という意。
甲斐の黒駒というように古来甲斐の国は馬の産地であった。
野ざらしを覚悟の決死の旅も、その前年芭蕉庵焼失のため疎開していて住み慣れた甲斐の国まで帰ってくれば江戸はもう指呼の間、何となく一息ついた気分にもなろうというもの。
折しも陰暦4月の麦秋の季節は、寒からず暑からず、ゆったりとした時間の流れの中で駒の足取りも軽やかに、間もなく知人の家に辿り着く。
にゃるへそ!🐈⬛、からの二回転半ひねりの、ワンだふる!🐕🦺
意外にも、割と単純な句だったのね!(^。^)
穂麦を食む駒と一緒に道中の疲れを癒す、、、それも、甲斐の国が馬の産地であることを踏まえて詠まれた句なのですね!(^-^)
江戸まで、あと少し、、、がんばれ!、芭蕉翁とお馬さん!🐴
では、野ざらし紀行のフィナーレに向けた返句をば。
「木曽をゆく恵那隧道を抜けて夏」 祖谷馬関