試練バージョンいよいよ終わります。
昔の手帳を引っ張り出し
いつから入院して、いつ退院かを確認しました。
その手帳には、殴り書きでその時々の出来事や状況が書かれていました。
あー、そっか、こんなこともあったんだなぁということが。
そこには
三田市民病院に緊急入院→緊急手術でバルーン処置と透析をする
夫の父が餓鬼のような風貌になり、夫を引っ張っている姿が観えた
義父にヒーリングしながら話し合い
無事天国に送る→夫の状態が良くなってはいないが安定
義母が見舞いに来て夫に暴言→夫は病状悪化し危篤状態になる
その夜、義母に電話して注意する
三田市民病院にて緊急手術で自動心肺装置をつけることに
(昼過ぎから夜中の11時までかかるほどの大手術)
何とか一命は取り留めたが、これは一時しのぎ
その後、救急車で神戸大学附属病院のICUに
そちらでもこれ以上の処置ができないので、心臓移植しかないと言われる
医師から、自動心肺装置は1週間しか持たないので
1度取り外してつけ直すと言われる
それを聞く前日に、明日10時からヒーリングする…と上から言われる
と、細かく書き残してました。
訂正は自動心肺装置を取り外した日に夫と話したのではなく
その翌日に呼吸器を外してすぐに電話で話したと書いてました。
記憶が少し抜けてたみたい。
まあ7年もたったので。
それから夫は、みるみると元気になり
翌年には心臓の機能は通常の50%から99%まで回復しました。
医師も理解不能みたいです。
しかし、薬はずっと飲んでます。
量は減りましたが、念のためにと言われて
重い物も普通に持って大丈夫だし、むしろ前より元気になりました。
長男としてのプレッシャーや
毒親から解放されて
毎回楽しそうです。
ちなみに、三田市民病院でお世話になった看護婦長さんに
友人が偶然あったらしいです。
その時私の夫の話になったそうで、
彼女は、私の夫が亡くなっただろうと思ってたみたいで
元気になったと聞いて、ビックリした後
喜んでくれたみたいで。
あの状況で生きているとは思わなかったと。
よかった。よかったと言ってくれたそうです。
病気をすると、沢山の人にお世話になります。
そしてその時に助けてくれる人と
全く頼りにならない人とがよくわかります。
それに病院関係者の皆さんには、本当によくしてもらいました。
友人達や私の家族にも
あと、目に見えないもの達にも
上の方々にも
全てに感謝❣️
ありがとうございました^o^