居酒屋~通りすがり~

今の我々に出来る事から始めましょうや。
明日を信じて始めましょうや。小さいことでいいからさ。困った時はお互いさま…ねっ

【九】『胸のつかえ』が取れた話…。

2012年09月16日 13時23分14秒 | 【九】店主の独り言…
ちょっと前の話だが…。

ここ数年、店主の中にあった『胸のつかえ』が溶けてゆくが如く、念願の吉報が所属している派遣会社からあった。

待ちわびた『吉報』であった。

人から見れば 大したことない小さな出来事だが…
店主からすれば、数年越しの『胸のつかえ』から解放された大きな吉報であった。

以下、その顛末…。



以前のauブログからお付き合いのある皆さまは 記憶の隅にあるのかも知れないが…

今から3年前の夏、店主は失業者になった。
契約社員として、6年働いた会社より『解雇通知』を言い渡されたのである。

店主は成田空港でその会社で航空機に貨物を積み込む『搭載業務』に従事していた。

文字通り、着いた飛行機の貨物を降ろしたり 出発する飛行機に貨物を積むのが仕事で空港に行かれた方ならわかるだろうが
飛行機の周りで『蟻』の様に取り付いて働いているのが我々『搭載課』の仕事なのである。


最初は生きる為に選んだ仕事であったのであるが…

いつしか、飛行機の素晴らしさに魅了され 『日本の表玄関』で働く誇りを持つようになり、
【ここでずっと働きたいと思っていた矢先、世界を揺るがした〓アメリカ発『リーマン・ショック』の煽りを受けて、あえなく失業の宣告を受けた訳であった。


★★
失業した、その年の11月…。

とある派遣会社の面接を受けた店主が採用され、配属された派遣先は なんと!?
店主が夏まで勤めていたまったく同じ会社の『搭載課勤務』であったのである(◎o◎)
5ヶ月のブランクを経て復帰した『元』職場。

全く同じ職場で、同じ搭載課として働いている仲間達との再会は嬉しかったが…
そこはやはり派遣の立場。

全く同じ仕事をしてるにも関わらず、給与面では明らかに差をつけられていて
契約社員には付く手当や夏冬のボーナスは派遣には、当然なく…。(;_;)

『経験者』として採用された店主が、その後入社してくる未経験者の面倒を見る事になるのだが…。
【トンでもない行状の数々】に振り回され、
所属の部課長にハゲ頭を下げまくった事も一度や二度ではなかった。


でも、条件は悪くとも仕事はやはり楽しかった。


確かに重労働だし、外仕事だから夏や冬の厳しさは決して若くはない店主の身体には堪える事ばかりである。

だけど。
仕事を終え 無事に飛行機を送り出す充実感や、季節の移ろいを肌で感じる瞬間や、程よく疲れた身体に女将と一緒に喉に流し込むビールの味の格別さ などなど…

やはり 何だかんだ言いながら店主はこの仕事が好きだし、性に合っているのだろう。


勿論、心の奥底には『敗者復活した者』の意地も当然ある。


言葉が悪くて恐縮だが…
【クソッタレ】【こんちくしょう】と 何度も心の中で叫びながら仕事をしてきた事も数え切れない。

同じ仕事をしながら
『同じ待遇ではない』と言う差別感が逆にエネルギーになったのか?
【契約社員より何倍もいい仕事してやる〓】という意気込みで突っ走った3年間。

店主の過ごした『派遣社員の3年間』というのは、そんな気持ちの時間だった訳であります。


★★★
現行の派遣法では…
『3年を越えて同一箇所に派遣をしてはならない』との条文があり、現在コレがいろいろな問題を産んでいる事実がある。

基本的路線としては、3年間派遣された人に対し、派遣先はその人を『直接雇用』する義務が生じるのであるが…

ズルいやり方をする派遣先=企業によっては、3年に達する2ヶ月前にわざと解雇を通知し
『3年の勤務を満たしていない』との理由で直接雇用を避ける手段を用いる企業もあると聞く。


店主が3年前 派遣会社に所属する際、無職であることを脱する事に喜ぶと同時に念頭にあった事は この事であった。


【3年後、また無職になるのか…!?】


どんなに好きで頑張って働いた職場でも 法律で決められた3年間の時間限定…。
その後は派遣先の会社のさじ加減ひとつで決まる命運。
虚しさが先に立ち イライラが募る事もしばしばだった。


唯一の救いは…
毎日、朝から働いて疲れているであろう女将
店主の身体を気遣って作ってくれる晩ご飯と 心の込もったお弁当と そして…
その日の出来事を関西弁で面白おかしく話してくれる女将の笑顔だった。


それにどれだけ助けられ、救われた事か…。
感謝しても感謝しきれないと思っている。



★★★★
8月の後半、休日だった店主に所属する派遣会社の課長から一本の電話が入った。


『9月以降の契約の件なんですが…。』

いよいよ来たか…!?。
そう覚悟して携帯を握りしめた。


店主の所属する派遣会社は3ヶ月毎に契約更改があり、更改の1ヶ月前に継続の意思を確認する電話が入る仕組みになっている。

派遣法に引っ掛かる日付は10月中旬だが、5月中に【6月~9月末】の契約は済ませてあり この時期に契約更改の連絡があるという事は…!?

『直接雇用になるのか?』
はたまた『クビになるのか?』
ひとつの宣告を意味しているのである。


派遣会社の女性課長は ハリがありながらも柔らかい声で話を続けた。
〉『今日、派遣先の会社から連絡がありまして…。
10月から【契約社員】として直接雇用したいとの連絡がありました。』



…。ホンマに…?
ホンマでっか??



この瞬間…
店主の抱えていた、数年越しの懸念が一気に払拭されたのでありました


『嬉し~い』と言うより【ホッとした】と言うのが素直で正直な気持ちでした。


次に湧いてきた気持ちは…
また、飛行機の傍で仕事が出来るんだという思いでした。


そして最後に浮かんだのは… 女将でした。
『喜んでくれるかなぁ~?』(^_^)v

結果は…?
店主以上に喜んで一緒に笑ってくれたのが女将だったのです。


★★★★★
契約社員に『復帰』する事によって 多少は年収も増える事になります。

僅かな金額ですが…
コレで少しでも女将にラクさせてやりたいし、約束しながら実現出来てない事も 少しづつ果たしていけたら 女将への恩返しになるのかな?
そう思っている店主。


真面目に働く人ほど『生き難い』方向に流れている今の世の中。
現在、派遣社員として働いて気苦労の絶えない方々も大勢いらっしゃるでしょう。

中には『世の中の不条理』に怒りや、絶望や、無気力を感じてる方々もいるかも知れません。


経営側がその下で働く人々を単なる『コスト』としか捉えず、【使い捨て感覚】で雇えるシステムとして定着してしまった『派遣の一般化』。

『カネの亡者』と化した経営側と『己の保身』にしか興味のない無能な政治家たちによって
日本はバブル崩壊以降、10年以上も迷走を続け 未だに光明を見出だせずにいる体たらく。

派遣労働者に限らず、日本中の真面目に働く国民なら皆、怒りを胸に毎日仕事に勤しんでいるのです。


一方で派遣で働く一部の人の中には…
『自分は派遣だから 仕事はこの程度でいいんだよ』と甘えた考えの人がいるのもまた事実である。
中には『この人、何しに来てるんだ?』と思わせる人を何人も見た。


働く以上、パートだろうがアルバイトだろうが派遣だろうが立場に関係なく、
『お金を得る為の責任』は平等に発生するのである。

『時給が安いからやる気がしない…。』
『待遇が悪いからこの程度でいいんだ…。』

しかし、その条件や待遇を承知の上で面接を受け その職場を選んだのは
紛れもなく『あなた自身』なのである。


今の条件の悪さを嘆き、ふて腐れる前に『一生懸命に働く』って事を忘れてはいないか?
店主はそれを強く思うし言いたいのだ



これから先 何があるか分からないし、何が起きても不思議ではない世の中。
店主の人生に於いてもこれから先もまだまだ『山あり谷あり』の出来事があるだろう。


だが…
『一生懸命にやる』って気持ちさえ失わなければ、これからも自分は大丈夫 頑張れる

もうすぐ終わる『派遣時代の3年間』は店主にそんな事を教えてくれた3年間だったのでありました…。



駄文長文に関わらず、最後までお付き合い下さり ありがとうございました。
m(_ _)m


店主。
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【九】日曜日の救急外来にて…。

2012年07月21日 02時44分36秒 | 【九】店主の独り言…
7月に入ってすぐの、5日から9日まで…
二人で示し合わせて『ささやかな夏休み』を取った店主と女将


時期的にいよいよ来たる夏本番を前に『ゆっくり休養を取ろう』という魂胆と…
6日から8日まで行われる【成田祇園祭】をゆっくり見ようか〓
との思惑で示し合わせて取った夏休みなのでありました。( ̄∀ ̄)



夏休み初日の5日(木)には…
女将の勤める会社の福利厚生を使って
数年ぶりに幕張の【QVCマリンフィールド(千葉マリンスタジアム)】にてナイター観戦
相手は『闘将・星野監督』率いる 楽天ゴールデンイーグルス

対する我が『千葉ロッテマリーンズ』は当日、誕生日登板で成田高校出身のエース・唐川

ビール売りの『可愛いお姉ちゃん』に誘われ、幾度もビールをお代わりしてるうち、
我が『千葉ロッテ』も勝利して 久々のナイター観戦を満喫した次第の店主と女将


翌日の6日(金)には…
ハッキリしない空模様に散々悩んだ挙句、お祭りに出掛けた店主と女将
小雨パラつく中、数多くの人手で賑わう参道をビール片手にぶらぶら。


1年振りに聞く手子舞の杖の響き…。

威勢のいい引き手の若い衆の掛け声…。

鐘や太鼓、笛の奏でるお囃子に乗って目の前を通過してゆく大きな山車…。


お祭り気分を堪能していたが、雨がだんだんと強くなってきてしまい
仕方なくお祭り見物を切り上げて、近くの居酒屋で女将と一献

と、まぁ…
『夏休み』らしくノンビリ過ごしていた訳なんでございます。


★★
そんな『ノンビリムード』で過ごしていた8日の日曜日の事。

『時間を気にせず寝てよう〓』と 前夜の夜更かしもあってベッドで丸まってる店主の腕を揺すって起こす女将

『どうしたの〓』と聞く店主に 女将が顔を歪めながら『脇腹から背中が痛い!!』と言う。
何でも店主より早く目覚めた女将が軽い朝食を食べてる途中で急に痛くなってきたとの事。

最初は『寝違えて体のスジでも痛めたか?』と笑っていたのだが…
それにしては痛がり方が尋常ではなく、右脇腹から背中を必死に擦っているのである。

時計を見ると朝の10時半を過ぎた頃。

とりあえず横にさせて様子を見ていたのだが、落ち着くどころか ベッドで何度も身体を捻って痛がる有り様なのである。


『コレは…? ただ事ではないな!?』


すぐに女将に保険証を用意させ、医者を探す段になってハタと気付く。
【本日は日曜日じゃないか!?】(°□°;)
さすがに日曜日でもやっている内科の町医者はない。


成田には救命救急の中核病院として【日本赤十字 成田病院(日赤病院)】が有るのだが、
ここは緊急性の高い患者優先であるし、普段は町医者からの紹介状がないと受診出来ないシステムになっている。
成田に限らず、最近の中核病院はこういうシステムなのは店主も理解はしていた。

だが、目の前の女将は 『今までに見たことがない程』の痛がり方をしているのである。

【いっそのこと、救急車を呼ぶべきか?】そんな思いが ふと頭によぎる。
もし、女将が痛みの余り『意識を失った状態』だったりしたならば…!?
迷わず店主は救急車を呼んだだろう。

だが、激しい痛みを訴えるものの 意識はハッキリしており、『この状態なら自力で移動できそうだ』と判断した上で
成田市の健康保険施設が平日夜と土日祝日だけ開いている【診療所】へ女将を連れて行ったのであった。


★★★
受付に行き 問診票には女将自身が記入した。
痛がっているが、いつもと変わらぬ少しクセのある字を書く女将の様子 は落ち着いている。

診療所のお医者さんの見立てでは、
『症状としては 痛みも激しい様ですし、もしかしたら…【膵炎(すいえん)】の疑いもありますから
至急、日赤に行って精密検査を受けて下さい。
今すぐに紹介状を書きますから』との事。


実は店主もこの医師と同じ心配をしていた…。

女将を横に寝かせている間に症状からくる病気をネットで検索した際、ヒットしたトップに この【膵炎】が入っていたのである。
しかも食事中から痛みが出てる事も【膵炎の発症事例】として挙げられているのであった。

しかも女将は 若い頃に一度 軽い膵炎にかかったことがあると言うのである。(・_・;)

正直、不安だ…。

しかしながら 今は具体的な検査結果と 冷静な対応が何より必要
頂いた紹介状を手にすぐさまクルマを成田日赤へと走らせた店主。

診療所を出る時には 既に痛み出してから1時間半が経過していた。


★★★★
日曜の日赤成田病院の総合受付ロビーは閑散としていたが…

やはり救急病院らしく、具合の悪そうな人や怪我をした人の来訪はそれなりにあり、2名の受付スタッフは忙しそうであった。

必要事項を書類に記入し、紹介状を添えて受付に提出する。
程なく名前を呼ばれ、『救急外来受付へ行って下さい』と指示された窓口へ廊下を進んだ。


さして広くない救急外来受付前のロビーは人で『いっぱい』なのである

店主のような付き添いの人もいるから、皆が皆『具合の悪い人』って訳ではないのだが…
ざっと見ても20人以上の人がいるのである。

手に巻いた布が血で真っ赤な若いお兄ちゃんがいた。

椅子に持たれて苦しそうに目を閉じる女性がいた。

ぐったりしている赤ちゃんを抱っこしながら、声を掛けている若い夫婦がいた。


皆、苦しく辛い思いをしながら順番を待っているのである。


我々も書類を提出し、順番を待つ。ひたすら待つ…。
だが、なかなか名前を呼ばれない…。苛立ちが募る


女将はこの頃が一番の【痛みのピーク】だった様子で
必死に痛みに耐え、声を殺しているものの 漏れる呻き声に
前の椅子に座っていた具合の悪そうな奥さんに付き添いっていた初老の旦那さんが 通りすがった看護師さんに
『この人 かなり具合悪そうだよ。早く診てあげてよ』と声を掛けてくれる。

自分の奥さんも具合が悪くてグッタリしているって言うのに…。

『ありがとうございます。大丈夫です…。お気遣いさせて申し訳ありません。』
思わずお礼を言い 頭をさげる。m(_ _)m

これだけ苦しがっている女将を早く診て貰いたいのは山々。

でも、皆が辛い思いをしてる同じ場所で
【自分達だけ早くしてくれ】とは どうしても言えなかったし、言いたくもなかった…。

痛がる女将の身体を支え 擦りながら、心の中で女将に『励まし』と『詫び』を入れる店主。

【この判断は正しかったのか??。 間違っていたのではないか?。】


ひたすら 順番を待っていた…。
時間はもうすぐ午後2時になろうとしていた…。


★★★★★
ようやく名前を呼ばれ、診察を受ける順番が来た。

穏やかな口調の男性医師は 症状を丁寧に聞き取りながら 手際よく『触診』『問診』『カルテ作成』を進めてゆく。

採血する段になり、医師がカーテンを開けたその中にあった物…
それはなんと【分娩台】であった(-o-;)
女将はその上で横になり 採血。
緊急時に不謹慎だが、何だか妙に可笑しかった事は記憶に残っている店主。

その後、1部屋たたみ1畳ほどの5人部屋に通され 点滴を受けながら次の検査の順番を待つ事になった…。


痛がる女将を車椅子に乗せて看護師さんが検査に向かう。
やがて、CTや超音波などの検査を終え、部屋に戻ってきた。

痛みは多少落ち着いた様子だが、やはり時々 痛みで身体を捻る…。
少し『うつらうつら』と眠る女将…。


寝顔を見つめ、手を握りながら…
とにかく、『大病で無いこと』を祈っていた。


ただ それだけだった…。


★★★★★★
検査の結果は…
原因は不明だが、『急性の胃腸炎ではないか?』との結論であった。

【症状的に膵炎に類似しているが、血液検査やCTの画像では それらに該当するデータや痕跡は見当たらず すい臓やその他臓器の異常も認められない】
それが医師の所見であった。


『胃腸炎はある程度ストレスも重なると起きやすいので、溜めないようにして下さいね
医師からのアドバイス。


薬を頂き 会計を済ませ帰宅。


女将は 帰りのクルマの中でも 家に着いてからも
『せっかくの休みなのに… ごめんね。』と何度も繰り返す。

だから言った。

『そんな事で謝る事はない…。この程度で済んだんだから 良かったよ
店主だって何時 そうなるか分からないんだから…。』



人間 歳を取れば取る程、身体にガタは来て あちこちが『痛いのカユいの』言うのである。


いつか人間は…
この世とおさらばする宿命ではあるけれども…

願うならば 病気で苦しい時間を過ごす事なく、
やりたい事やって バカ言って笑って 酒呑んで酔っ払って…

程々の歳になった時に『ポックリ逝く』のが一番の理想だと思っている店主。

だけど 連れ合いには…
少しでも 僅か1日 1時間でも長生きして貰いたいとも思っている店主。

わがままだけどね…。


ただ、今回の女将の一件で
『連れ合いが苦しむ時に 一体 何をしてあげられるのか?。
ああすれば良かった…。
こうすれば良かった…。』
そういう後悔だけはしたくないと強く感じた店主。


40代後半や、50代後半はある意味『生死の境を綱渡り』している時期なんだろうと思う。


だから尚更…
一緒に人生を歩いてくれる連れ合いに
『してあげられる事』とは何なのか?
『しなきゃいけない事』とは何なのか?


そんな事を思わせ 考えさせられた『夏休みの1日』なのでありました…。


あ…? 今ですか?
ご心配なさらないように

すっかり『元気』になりまして…

『私の季節が来たぁー』と35℃の猛暑に喜び、今は店主の隣で爆睡しておりますのでね


皆さま…。
身体も心も 大切にお過ごしくださいね


駄文長文にお付き合い頂き ありがとうございました。m(_ _)m
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【九】声を出して泣いてしまいました…。

2012年05月05日 20時48分22秒 | 【九】店主の独り言…
昨晩の事…。
女将とご飯を食べながらテレビを見ていた店主。

適当にチャンネルをかえると
【世界で働くお父さん】】という番組をやっていて 途中からだったが何気なく見はじめた。


世界中に単身赴任で赴き、仕事しているお父さんのところに
その子供たちが『内緒で』現地に行って【サプライズ】させる内容だった。

長いお父さんは10年以上に及ぶ海外での単身赴任生活。

一方の子供たちは子供たちでそれぞれに
【中学の卒業証書を見せてあげたい】とか…
【ランドセル姿を見せたい】とか…
普段会えないお父さんに報告したい事がたくさんある。


そして現地に行く前に日本で何度も練習した【お父さんの大好物】を作ってあげる一生懸命なその姿。

世界の現場で 現地の人々と共に汗を流して働く真剣なお父さんの姿を『じっと』見つめる眼差し。


数日の滞在の後に 空港で別れる際…

お父さんにしっかり抱きついて涙のとまらない子。

泣かない様に真っ直ぐ前を見て 一度も振り返らずゲートをくぐる子。

明るくバイバイするも、飛行機の中で『しょんぼり』してる子。


もう…ダメでした。
【涙腺決壊状態の店主。

テレビでこんなに泣いたのは…かなり久しぶりでした。(┳◇┳)


端で見ていた女将は笑ってましたけどね…。( ̄∀ ̄)
黙ってティッシュの箱を差し出してくれましたよ。


歳取ると、涙腺がガタガタになるのか…?
最近、とみに『この手の話』に弱くなってきた店主。


【このお父さん達は本当に幸せなお父さん達だなぁ~】


人の幸せの形は様々あれど…


ふと 羨ましいと思った店主なのでありました…。


なんかだんだんと、徳光さんみたいになってきたなぁ~。


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【九】成田にも…

2012年01月23日 23時32分54秒 | 【九】店主の独り言…
夕方からの雨が夜半になり、とうとう成田も
『雪』になりました…。


たぶん、『初雪』ではないか?と、思います…。


明日の通勤や仕事の事を考えると 『少々ウンザリ』ではありますが…


夜中に静かに降る雪を見てると
昔の『楽しい思い出』や『苦い思い出』『懐かしい思い出』が、様々に ふと込み上げてきて 不思議な気分になります…。


【たった5センチ】の雪でオタオタする関東の人間を見て
雪国の皆さまは『鼻で笑う』有り様でしょうな、きっと…。( ̄∀ ̄)



でも 雪の降る晩は 何故か『あたたかいキモチ』になる店主。


なんでですかね…?



関東地方の皆さまは…
【凍結によるケガや事故】にくれぐれもご用心を


雪国の皆さまは…
【関東人のオタオタ振り】を見て笑っちゃって下さいまし


風邪など召さぬように。


お休みなさい。m(_ _)m




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【九】ありがとう自衛隊さん!

2011年12月28日 15時24分26秒 | 【九】店主の独り言…
ちょっと固く重い話を書こうと思う。

普段と違う口調になるのは 柄ではないのだが、どうかご容赦いただきたい。



もうすぐ暮れてしまう2011年だが…

『今年のすべて』を象徴する出来事と言えば あの【3・11 東日本大震災】である事は 日本人であるなら誰しも異論はないであろうと思う。


店主の住む成田でさえ、【震度5強】に見舞われ 女将共々 怖い思いを味わった。

東北3県を中心とするあまりにも甚大な被害の情報が刻々、明らかになるにつれ 大変、例えは悪いのだが…

店主の脳裏に浮かんだのは 子供の頃、テレビドラマで見ていた故・小松左京氏のベストセラー【日本沈没】の大地震発生のワンシーンであった。

やっとの思いで職場である空港から自宅に戻り 流れる衝撃的なニュース映像の数々にふと、【日本沈没】の映像が思い浮かんだのである。



東北には 店主や女将といつもブログを通じて懇意にして頂き 、前年末のオフ会にも参加して下さったブロ友ご一家が住んでいて

震災直後、一時はメールやブログでも『安否の確認』が取れず 次々に映し出される被災の実情を横目に 無事を祈る気持ちを抑えらなかった事を思い出す。


あの大震災から9ヶ月が過ぎ…
一見すると 世間は落ち着きを取り戻している様な『雰囲気』はあるのだが、実は まだまだ何にも解決していない。

現実に『瓦礫の処理』も『原発の収束』も未だに全然進んでいないのだ!
まさに千年に一度の【国難】に巡りあってしまったのではないだろうか。
そう思わざるを得ない1年であった…。


★★
そんな【国難】に敢然と立ち向かったのは
『ウルトラマン』でも『仮面ライダー』でも、ましてや『宇宙戦艦ヤマト』でもなく…

【国を守る事】を任務に働く数多くの自衛隊を始め、治安のプロ【警察官】、防災・救命のプロ【消防官】の皆さまによる献身的な救助活動の数々であった。


特に自衛隊は 震災直後からの人命救助はもとより、損失した『道路・橋の復旧』、食料や生活物資の『輸送・配給』、炊き出しや入浴の提供などを行う『生活支援』まで八面六臂の活躍を見せてくれたのであった。


これは称賛に値する大活躍である!


【陸・海・空】を合わせた自衛隊員は およそ23万人いるそうだが
そのうちの『10万人』を【災害派遣要員】として動員し、被災各県へ派遣され 大震災初期の大混乱からの復旧活動には 本当に頭の下がる思いがするのである。


ニュース映像でも出ていたけれど…

ある被災地に住む『小学生の姉と弟』が現場に向かう自衛隊・警察・消防の車両に【毎日欠かさず敬礼(`∇´ゞ】で見送り

現場から帰ってくる隊員たちにも【敬礼(`∇´ゞ】で出迎える事を日課にしていて 隊員達も笑顔で【敬礼(`∇´ゞ】を返すと言うことが話題になっていた。


小学生の姉弟からすれば 純粋に『ありがとう 自衛隊さん!』の気持ちから出た行為なんだろうと察するが

隊員達から見たら…
不幸な出来事の中での使命とは言え、【自分の職務が人に感謝される喜び】を噛み締めた『敬礼(`∇´ゞ』だったのではないだろうか?

そう愚考する店主。


誤解を恐れずに言えば…
自衛隊も警察も消防も ある意味【人の不幸を前提にした仕事】であると思っている店主。

事件や事故、災害など【人を不幸から助ける】のが彼らの任務だが

本当はそんな『不幸』が無ければそれが一番良い訳で、警察・消防・自衛隊それぞれの【出番のない社会】が一番理想なのである。


でも それはあくまで【理想】であるから
現実に起きる『不幸』を想定し 対処する技術と能力を身に付け 訓練を重ねる事によって 彼らの存在意義があり 我々一般の人々は安心して生活を営めるのではないだろうか?


★★★
誰がどう見ても 自衛隊は日本に於ける【軍隊】であろう。

銃を持ち 戦車があり 戦闘機があってイージス艦からミサイルを打てる組織をだれも『平和組織』とは思わないであろうと思う。


自衛隊の根底は【戦う集団】なのだ。


だが…?。
『第二次世界大戦』あるいは『太平洋戦争』の反省から
もしくは 戦後に於ける【資本主義vs共産主義】の世界の力関係から 敗戦国の日本は再び銃を取り、軍備を始めたのは紛れもない事実。

でもそれは 再び他国へ『戦争』を仕掛ける為の軍隊ではなく…
【専守防衛=国を守るためだけの自衛軍】としての軍隊になった事が一番 【大きな違い】なのだ。

『PKOによる海外派兵』も最終的には【日本の国益と財産を守る】ためであり、武器も自分の身を守る必要最低限しか持参していない。


60数年前の敗戦後以降…
『自衛隊』という組織はその成り立ちから絶えず【違憲か合憲か】という政治家の『机上の空論』に振り回されてきた不幸な組織である。

『国』という組織が国民の生命と財産を守る最大の『単位』だとすれば…自衛隊は本来なら その最も重要な位置に居なくてはならない筈なのだ。


ましてや…
巨大で横柄で かつ『領土的な野心』のある隣国がある日本。
国は小さいが『軍事至上主義』を掲げ 武器を見せて脅しをかける隣国がある日本。

そんな隣国がある日本なのに、今まで余りにも自衛隊をないがしろにしていたのではないか?
邪見にしていたのではないか?

少なくとも店主はそう思っているのである。


★★★★
そんな『歴史と偏見』のある自衛隊だが…

国内で発生した災害に対し 今回の大震災に限らず『いの一番』に現場に入るのもまた自衛隊の皆さまである!

隊員の皆さまも人間であり、家族や恋人がいて、喜びや悲しみもたくさん抱えていることだろう。
いくら職務とは言え、自分の命を危険に晒す現場に命令一つで出動するのは 並の気持ちで出来る事ではない!


自衛隊員ひとり、ひとりの強く高い意志と行動力に敬意を表さずにはいられないのである。


今回の大震災をきっかけにして…
『これからの日本』を作る若い世代に 自衛隊・警察・消防を指向する動きがあるのだという。

【人の役に立つ仕事がしたい】との事だ。
若い世代らしい純粋さと情熱は、なんと素晴らしいものか!? と思う。



今回の大震災が『大きな大きな不幸』である事は間違いない事実だが…

そんな不幸を跳ね返すかの如く 現場で黙々と作業に当たる自衛隊の皆さまを目の当たりにして
【バブルの弾けた閉塞感】の中、生まれ育った若い世代は

【人に感謝される仕事の喜び】を感じ取ったのではないか?
【人の役に立つ仕事の喜び】を感じ取ったのではないか?
人の為に働く仕事の中に【やりがい】を見出だしたのではないか?

そんな風に感じた店主なのであった。



最後に…
タイトルの【ありがとう自衛隊さん!】は『YouTube』で偶然見た動画のタイトルであります。

興味のある方は 是非ともご覧になって見て下さい。

『報道が報じない』自衛隊の本当の姿が他にも多数 YouTubeにアップされています。


最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。感謝!!

m(_ _)m
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