プララより移行 イズマイヤー

プララより移行して来ました。
今後とも宜しくお願い致します。

赤穂の塩

2007-04-25 23:20:43 | 旅行
 赤穂で最後に立寄ったのが赤穂市立歴史博物館、入館料200円でした。 
館内は赤穂義士討入りの資料もありましたが、中でも目もひいたのが赤穂の塩でした。
赤穂の塩は、入浜塩田による製塩法で、当時の様子を現す塩田の模型や船、用具等が展示されていました。 

 
赤穂市立歴史博物館
 

塩ぐいのみ ここならではのお土産
家に帰ってから早速使ってみました。
100回位使えるそうで、酒を注いだらすぐに飲む、長く置いておくと、やはりショッパクなる。
一気飲みがおすすめかも!

 

[一言]
 おみやげ屋さんでお客さんがコショウみたいにガリガリ削る塩は無いのですかと聞いていました、お店の人がここは塩田で作るので、岩塩は置いて無いと話ていました。 旅先の事について少しはガイドブックでも見て行った方が良いのでは!

播州赤穂、忠臣蔵のふるさとへ

2007-04-21 21:51:30 | 旅行
 姫路駅から途中でJR赤穂線で約30分、播州赤穂へ行ってきました。 赤穂浪士のドラマは、テレビ、映画で昔見ました。赤穂浪士とは簡単に書くと、浅野内匠頭長短の仇である、吉良上野之介義央を、大石内蔵助率いる赤穂浪士四十七士が吉良上野之介義央の屋敷に討ち入り、討入りをはたした。その後、幕府の裁定へ、そして将軍徳川綱吉は大石内蔵助らに切腹を命じた。

 
大石神社 当時の書物や武具等が展示されていました。
 

赤穂城跡
赤穂の武士は、義理人情に厚く又、忠義を尽くす武士だったと通貫いたしました。
 もう20年以上も前ですが、会社が三田で勤務していた頃、昼に弁当を買って、泉岳寺で食べた事を思いだしました。
 

花岳寺 赤穂四七義士、浅野家、森家の墓がありました。
  

駅前の通りは綺麗に舗装されていて、近代的で清潔感も感じた
  

[一言] 
 花岳寺で、寺のガイドさんが説明しているのに、おばさん達が大きな声でペチャクチャ話をしていて聞いていない、又、手をたたいて拝んでいる人がいた。 そこでガイドさんの一言、「鳥居をくぐって来たら神社、門をくぐって来たらお寺」又、「手をたたくのは神社、お寺は手を合わせる」 勉強になりました。 
最近、何処え行ってもこうゆう人の話、説明を聞かない人達を見掛ける。特に年寄りのグループが多いです。気をつけましょう!



書写山円教寺への旅

2007-04-18 01:23:52 | 旅行
 姫路から書写山ロープウェイセット券1300円を買って、バスで書写駅、そこからロープウェイで書写山円教寺へ行って来ました。 ロープウェイを下りてから歩いて仁王門、大講堂、奥の院へ、ウォーキングに丁度いい距離と言うより、一寸坂がきつかったです。 たまたま昼時に、奥の院前広場にて昼食接待があり、握り飯と汁物を頂き感謝いたしました。 


摩尼殿
  

ラストサムライに映しだされる「3つの堂」下の3枚、上から左側の建物(常行堂)、中央(食堂)、右側に(大講堂)位置する。 全体を1枚で撮りたかったがこれを撮れる広角レンズを持って無かった。

   

弁慶のお手玉石
 

書写山ロープウェイ
 

 家に帰ってから、あらためてラストサムライのDVDを見て映画に出てきた建物や中の様子が映されているのを見て何処の場所から撮影されていたかが思いだされる。


ライトアップされた姫路城と夜桜

2007-04-15 22:55:34 | 
 今回は急な出発だったので、新幹線の(小田原からのひかり)座席が取れなかったので始めてグリーン車で行きました。 カメラ(デジカメ、フイルムカメラ)三脚、カメラバック等を持って2泊3日の旅でした。朝7時何分かの小田原発に乗り、約3時間で10時頃に姫路に着きました。 宿は駅前の日航ホテルで着いて荷物を預けてチェックインの手続きをして出かけました。 お城の周りを一周してから今度は三脚を立て夜の撮影をしました。

 
夕暮れ時の姫路城

 
今年は4月10日までライトアップされていて丁度最終日に間に合いました。

  
夜の姫路駅 

 
ホテルはお城とは反対側の改札口でした
 

姫路城と桜見学

2007-04-14 21:27:01 | 
 姫路城の桜が満開とテレビのニュースを見て前から行きたかった所なので、この時期を逃してはいけないと思い立って行ってきました。 国宝の姫路城の立派さと、桜の花が満開でとても綺麗で建物の周りの木の数も多く又、外国人観光客も沢山いて、さすが世界遺産だけの価値はありました。

 
この時期は、桜が満開でバックにお城を入れると何処から見ても絵になり、写真を撮るのには絶好の場所でしょう。
 
  
桜の間からお城を覗く。
 
庭も建物の周りは桜で覆われていました 
 

上手な絵を書いている人がいました。こうゆう絵を書けるようになりたいです
 

お城の中の廊下、幅が広かったです。
  
千姫様、9年住んでいました。 本田忠刻殿との出会いもありました。