ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

阿部昌司先生のお葬式

2013年09月15日 | 日記
神は愛なり。新約聖書:ヨハネの第一の書4章16節(文語訳聖書)                                                           主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。 旧約聖書:イザヤ書40章11節(新改訳)                                                    私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。  旧約聖書:サムエル記Ⅱ4章9節(新改訳)                                                                                    もう、昨日になっちゃったけど、阿部昌司先生のお葬式に行ってきました。同じ学年の友達が、私を入れて8人だったので、安心して、最後まで残れました。阿部先生、皆様ゴメンナサイ。途中ね、「南無阿弥陀仏」を唱える時、いきなり360人近くの方が、一斉に唱えだしたので、その声の大きさに私、震えちゃって、一緒に南無阿弥陀仏唱えられなかったの。本当に、ゴメンナサイ。だから、私は目をつぶって、クリスチャン式に、心の中で「アーメン。アーメン」と何回も唱えていました。でも、今考えると、南無阿弥陀仏に当たる言葉は「ハレルヤ」だったのかなって思った。12時からお葬式の会場で、合唱に参加する人は練習をしてもらえた。最上川、機織る星、遥かな友に、を歌った。いきなり回りの友達が涙ぐむのでビックリして、私はそれを見てちょっと涙ぐんでしまった。正直私は、全く涙が出なかった。歌ってる時は、阿部先生の遺影が、本当に普段着のシャツに笑顔だったので「笑顔で、歌いましょう」と声をかけられているようで、とても泣けなかったし、最上川も、機織る星も、懐かしくて、夢中で歌った。阿部先生に教えて頂いた書き込みが楽譜にあって、その通り努力して歌ったけど、不思議だったのは、同時に体が覚えているのかな?発声法や、発音、阿部先生が教えて下さったとおりに、口や頭の位置、立ち方まで、体が先に動いた。ビックリしたよう。高い声も出なかったけど、いつもよりは出てた。ちゃんと、阿部先生に教えてもらった発声法を、私は覚えていた。なんか切なくなった。                                       その後の、山形東高のOB「東音会(とうおんかい)」の皆さんの練習が始った。遠くで聞いたとき、美しいなあと思ったが、本番で聴いたら、余りの迫力と、心に響く歌声に、私は久しぶりに生の男声合唱に圧倒されてしまった。特に、指揮者の方に見惚れてしまった。タイトルを忘れてしまったのがもどかしい。どなたか教えてください。                                         次に嚶鳴が歌った。私たちも混ぜてもらった。最初に歌った最上川は特に懐かしい。私が学生の時YTSで、阿部昌司先生の指揮で録音をした曲だからだ。 私はメゾなので、「♪うーみいいいにい、いいるうまで♪」 と、八分音符で細かく動く旋律が好きで、懐かしかったから、丁寧に音を取った。歌っててとても気持ち良かった。でも、泣きそうになってきた。機織る星では、もう完全に涙モードになっていた。でも、「もう、これで、阿部先生の前で歌えるのは最後なんだ。阿部先生が生きておられたら、絶対笑顔で歌いなさいって仰るだろうな」 と思って、頑張って笑顔で歌った。  「♪ 褪せないものの証の色 果てない夢の在りかへのしるべ♪」ここは、もう、満面の笑みで歌った。「♪ひとつの星を恋いながら 陽の下に在る痛さに耐えて なお 人の世の娘のために 織女は きょうも 定めの 絹を織る♪」 ここからは、丁寧に言葉を歌った、特に最初の「ひとつのほしを、こいーながら」ここは本当に難しい。でも阿部先生から教えて頂いた歌い方を体が覚えている(下手だけど)そして、「なお」の発声は、やっぱり頭の後ろから出してた。「♪織女はきょうも、さだめの絹を、おーーーーーーるーーーーーーーーー♪」きぬの「き」は、なんとなく、K-KKi(←西高音楽部の独特の表記法。子音をはっきりと出す時、こう書いてある)で歌った気がする。♪おーーーーーるーーーーーーーー♪食もう、おなかの底から声を出して、阿部先生の遺影を見ながら歌った。阿部先生はどう思って聴いてくださったかな?聞いてみたい。 最後の「遥かな友に」は参列者全員で歌いましょうとなった。だれに言われる事もなく、参列者の皆さん全員が起立し、歌い始めた。私はここでやっとなんでこの曲が選ばれたかわかった。♪お休み、安らかに、たどれ夢路。お休み楽しく、今宵もまた♪ もう、この歌詞で、私は歌えなくなった。歌っても涙声だったと思う。顔はボロボロ。でも、本当にあったかいお葬式だった。私は阿部昌司先生に、合唱をご指導頂いたと信じていたが、もうひとつご指導いただいたのだと、今日初めて気付いた。                                                                                      それは、あたたかさ、だった。(号泣)                                                 葬儀会場中が、あたたかさで満ちていた。 参列者のそれぞれ一人一人の、阿部昌司先生への思慕と感謝の思いが感じられた。皆違うんだと感じられた。私も違う、皆違う。昨日、セレモニーホールに集われた方々は、私を含め、阿部昌司先生とのかかわりを思い出して、涙されていたと思う。 そして、葬儀中、イエス父ちゃん、私の神様が語りかけてくれた聖書の言葉が「神は愛なり」だった。   父ちゃん?愛って温かいんだね。当たり前のことを今日感じたよ。 最後の南無阿弥陀仏は小さい声で唱和できた。イエス様が私を抱きしめて、「それでいい、大丈夫、シズコ、大丈夫」 とずっと語りかけてくれた。                                                                             最後に一つ書かせて頂きたい。阿部先生の祭壇の花が素晴らしかった。花で五線譜を描き、ト音記号、音符、そして、最後には、指揮台まで白と赤の花で美しく飾られていた。私は今まで、こんなに素敵な祭壇を初めて見た。合唱に一生を捧げられた阿部昌司先生にぴったりだと思った。皆さんそう思われたらしく、写真を撮っておられた。私も撮って来たの。ブログに実はアップできたらな、なんて。でもね、やっぱりお葬式でしょう?辞めました。でも、本当に美しかった。そして心が和んだ。阿部先生、最後まで本当にありがとうございました。                                                お葬式の導師様が退場された時、ふと思った事は、「やっぱりあの世はあって欲しい」という事。今阿部先生は、天国でどなたと話してるんだろう?と思った時、一番先に浮かんだのが、故・高田三郎先生だった。 「やあ、とうとう来たかい?」と阿部先生を手を広げて待っていてくださったのではないだろうか?そんな風に思った。そう思うと、なんか気持ちが優しくなれる。 一足早く天国に旅立たれた合唱関係の方々と、お喋りなさって、もしかしたらまた、歌ってらっしゃるかもしれない、そんな風に考えると、慰められる。                                                       本当に、お葬式って、亡くなった方のためじゃなくて、生きてる私たちが慰められるためにするんじゃないかな?そう思いました。                                                    今日のこの画像は、私が通っている山形南部教会です。実は山形西高から、5分もかからないの。すぐそばなんです。                                                                    私は最近、礼拝に全く行けない。多分今日も行けないような気がする。まだ頭が興奮してる。凄く体は疲れてるのに。いろんな感情がごちゃごちゃになってる。 父ちゃん、今日も礼拝行けなかったらごめんな。 でも、いつもシズコの傍さ、居てな。 このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。                                                                                                                 空色リボン・キャンペーン
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